「稲穂峠」の版間の差分

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443 バイト追加 、 2022年2月27日 (日)
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鉄道トンネルは国道5号の稲穂峠から南東にあり函館本線に属する。函館本線の前身の北海道鉄道は函館駅を起点とし小樽駅(現在の南小樽駅)で北海道炭礦鉄道[[:カテゴリ:幌内鉄道|幌内線]]に接続した約159マイルの鉄道であった。建設工事は8工区に分割で行われ、稲穂峠のある倶知安駅 - 然別駅間は延長19マイル17チェーン26リンクの第5工区であった。この線で13本あったトンネルのうち延長が1位となるのが稲穂トンネルであり、また同じ工区には2位の倶知安トンネルもあったたため、工区の出来が線全体の開業にかかわる重要な現場であった。始めにまず稲穂トンネルの北3マイル半の箇所に物資を運び込むための停車場を置き、これは6月28日に山道駅として稼業し始めた。非常に硬い岩質であったが、1904(明治37)年5月に竣工。倶知安トンネルも3月に竣工しており、7月18日に小沢駅 - 山道駅間が開業した。またこれにより山道駅は役割を失い廃駅となった。第5工区は小樽市街を除くと最も遅い開通であったので、稲穂トンネルの開通により函館から小樽が初めて鉄道で結ばれたこととなる。
鉄道トンネルは国道5号の稲穂峠から南東にあり函館本線に属する。函館本線の前身の北海道鉄道は函館駅を起点とし小樽駅(現在の南小樽駅)で北海道炭礦鉄道[[:カテゴリ:幌内鉄道|幌内線]]に接続した約159マイルの鉄道であった。建設工事は8工区に分割で行われ、稲穂峠のある倶知安駅 - 然別駅間は延長19マイル17チェーン26リンクの第5工区であった。この線で13本あったトンネルのうち延長が1位となるのが稲穂トンネルであり、また同じ工区には2位の倶知安トンネルもあったたため、工区の出来が線全体の開業にかかわる重要な現場であった。
 
1902(明治35)年6月22日北坑口、7月4日南坑口でそれぞれ導坑掘削が着手し、非常に硬い地質であったが掘削は順調に進んだ。当時国内有数の長大トンネルであった当トンネルにあり換気には苦慮した。北側で鉄道が開業すると、トンネルの北3マイル半の箇所に物資を運び込むための停車場を置き、これは1903(明治36)年6月28日に山道駅として稼業し始めた。トンネルは1904(明治37)年5月に竣工。7月1日に開通予定であったが6月29日に至り洪水被害で線路が破壊された箇所が出たため7月18日に遅れることとなった。
 
倶知安トンネルも3月に竣工しており、7月18日に小沢駅 - 山道駅間が開業した。またこれにより山道駅は役割を失い廃駅となった。第5工区は小樽市街を除くと最も遅い開通であったので、稲穂トンネルの開通により函館から小樽が初めて鉄道で結ばれたこととなる。


=== トンネル餅 ===
=== トンネル餅 ===

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