オロフレ峠
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おろふれ
オロフレ
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おろふれしょう
オロフレ小
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オロフレ峠は壮瞥町と登別市の間にある峠である。市町境界にはオロフレトンネル、登別側にやや下ったところにオロフレ小トンネルがある。
オロフレ峠は洞爺湖と登別温泉という北海道内有数の観光地の間にそびえ、また周辺では鉱業が盛んであり、道路の開削が望まれていた。1932(昭和7)年比較的工事が容易な壮瞥側が開通し、続いて1935(昭和10)年に登別側も開通し、オロフレ峠を越える初代の車道が現れた。しかしこの道は完成の翌年に水害で破壊され、その後は開戦によって復旧工事は後手に回され長きにわたり不通となった。ようやく復旧工事がなされ道路が復活したのは1951(昭和26)年のことである。1954(昭和29)年北海道道に昇格し逐次改良が施されていったが、サミット前後は最急勾配率10%、最小半径15m、オロフレ峠の大崩落地形の真下を通る危険極まりない状態であったから、1977(昭和52)年度より峠前後4,140mを大規模に改良する「オロフレ峠改良工事」がスタートした。この事業の要としてオロフレトンネルが計画された。変成岩が複雑に分布し重金属類の含有も見られたが、側壁導坑先進方式で施工しズリは盛土へ利用された。オロフレトンネルは1988(昭和63)年10月に完成し、オロフレ峠は旧道となったが、峠は観光地や登山口となっていたことから、壮瞥町側は廃止されずに現在も自動車で通行することができる。