おろふれ
オロフレ
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20150620104820DSC_2400.JPG 登別方坑口
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開く 基礎情報
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Map_orofure.png | 振興局 |
胆振
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胆振 総合振興局 |
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起点 |
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終点 |
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図名 |
20万 |
5万 |
2.5万 |
苫小牧 |
徳舜瞥山 |
カルルス温泉 |
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用途 |
道路 |
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路線名 |
北海道道5号洞爺湖登別線(-1994) 北海道道2号洞爺湖登別線(1994-) |
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管理者 |
室蘭建設管理部登別出張所 |
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施工者 |
鹿島・伊藤・岩倉共同企業体 |
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工事費 |
46億8400万円 |
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着工 |
1982(昭和57)年 |
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竣工 |
1988(昭和63)年10月 |
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開通 |
1988(昭和63)年10月8日 |
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現況 |
現役 |
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延長 |
935.0m(接続覆道含まず) |
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6.5m5.5m4.5m
総幅員 =6.5m
車道幅員 =5.5m
中央高 =(N/A)
有効高 =4.5m
建築限界高 =(N/A)
| 照明 |
LED |
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換気 |
ジェットファン×3 |
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等級 |
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非常用 設備 |
通報装置、非常電話、警報表示板、警告灯、音信号発生機、消火器 |
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おろふれしょう(おろふれ)
オロフレ小(オロフレ)
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20150620104048DSC_2382.JPG 壮瞥方坑口
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開く 基礎情報
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Map_orofure-sho.png | 振興局 |
胆振
 |
胆振 総合振興局 |
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起点 |
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終点 |
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図名 |
20万 |
5万 |
2.5万 |
苫小牧 |
徳舜瞥山 |
カルルス温泉 |
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用途 |
道路 |
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路線名 |
準地方費道96号カルルス登別停車場線(-1957) 北海道道5号洞爺湖登別線(1954-1994) 北海道道2号洞爺湖登別線(1994-) |
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管理者 |
室蘭建設管理部登別出張所 |
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施工者 |
松本・門脇・谷組共同企業体(改修工事) |
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設計者 |
北海道開発コンサルタント(改修工事) |
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工事費 |
1億2000万円(改修工事) |
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着工 |
1978(昭和53)年4月(改修工事) |
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竣工 |
1928(昭和3)年(新設工事) 1978(昭和53)年12月(改修工事) |
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現況 |
現役 |
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延長 |
39.40m(接続覆道含まず) |
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8.5m5.5m6.43m4.5m
総幅員 =8.5m
車道幅員 =5.5m
中央高 =6.43m
有効高 =4.5m
建築限界高 =(N/A)
| 坑門 型式 |
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掘削 工法 |
矢板 |
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覆工 |
Co |
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舗装 |
Co T=25cm |
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照明 |
LED |
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換気 |
自然 |
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排水 |
センタードレーン |
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等級 |
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非常用 設備 |
無し |
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オロフレ峠は壮瞥町と登別市の間にある峠である。市町境界にはオロフレトンネル、登別側にやや下ったところにオロフレ小トンネルがある。
オロフレ峠は洞爺湖と登別温泉という北海道内有数の観光地の間にそびえ、また周辺では鉱業が盛んであり、道路の開削が望まれていた。1932(昭和7)年比較的工事が容易な壮瞥側が開通し、続いて1935(昭和10)年に登別側も開通し、オロフレ峠を越える初代の車道が現れた。この時トンネルはオロフレ小トンネルの位置に1本あった。名前はオロフレトンネルである。しかしこの道は完成の翌年に水害で破壊され、その後は開戦によって復旧工事は後手に回され長きにわたり不通となった。ようやく復旧工事がなされ道路が復活したのは1951(昭和26)年のことである。1954(昭和29)年北海道道に昇格し逐次改良が施されていったが、サミット前後は最急勾配率10%、最小半径15m、オロフレ峠の大崩落地形の真下を通る危険極まりない状態であったから、1977(昭和52)年度より峠前後4,140mを大規模に改良する「オロフレ峠改良工事」がスタートした。この事業の要としてオロフレトンネルが計画された。変成岩が複雑に分布し重金属類の含有も見られたが、側壁導坑先進方式で施工しズリは盛土へ利用された。オロフレトンネルは1988(昭和63)年10月に完成し、オロフレ峠は旧道となったが、峠は観光地や登山口となっていたことから、壮瞥町側は廃止されずに現在も自動車で通行することができる。この改良工事に際し峠に新たなオロフレトンネルが計画されたことから、1978(昭和53)年度にそれまでオロフレトンネルと称したトンネルはオロフレ小トンネルと改称された。
ギャラリー
壮瞥側から大観望までは車で通行できるがここから登別側は廃止されている