「真狩」の版間の差分

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真狩トンネル付近は急カーブが連続し、トンネルは老朽していた。特に老朽化は深刻で土圧で変形したため最後期にはレールの補強が80本入れられ、漏水がはなはだしく冬季はツララ除去のために人手が割かれていた。1955(昭和30)年暮には幅1.6m長さ1.2mにわたって覆工のレンガが崩落したが応急処置のまま使われていた。列車は速度を制限され保線には危険をきたしたため、トンネル前後1,618mを新線へと切り替えるに至った。なお1927(昭和2)年、1946(昭和21)年にも付け替えの話が上がったが結局は立ち消えになっていた。1956(昭和31)年1月10日、狩太工事区が開設され作業が始まり同4月に工事が着工した。1957(昭和32)年の竣工予定であったが用地処理で一時中断し1958(昭和33)年に完成した。旧線から分岐し橋梁を2本新設し、尻別川の蛇行を越え、約130mを短縮した新線は11月12日に開通した。
真狩トンネル付近は急カーブが連続し、トンネルは老朽していた。特に老朽化は深刻で土圧で変形したため最後期にはレールの補強が80本入れられ、漏水がはなはだしく冬季はツララ除去のために人手が割かれていた。1955(昭和30)年暮には幅1.6m長さ1.2mにわたって覆工のレンガが崩落したが応急処置のまま使われていた。列車は速度を制限され保線には危険をきたしたため、トンネル前後1,618mを新線へと切り替えるに至った。なお1927(昭和2)年、1946(昭和21)年にも付け替えの話が上がったが結局は立ち消えになっていた。1956(昭和31)年1月10日、狩太工事区が開設され作業が始まり同4月に工事が着工した。1957(昭和32)年の竣工予定であったが用地処理で一時中断し1958(昭和33)年に完成した。旧線から分岐し橋梁を2本新設し、尻別川の蛇行を越え、約130mを短縮した新線は11月12日に開通した。
[[Category:後志総合振興局のトンネル]]
[[Category:1000m未満のトンネル|242]]
[[Category:廃止されたトンネル]]
[[Category:函館本線]]
[[Category:開通年毎のトンネル|1904]]
[[Category:廃止年毎のトンネル|1958]]