「神居古潭 (函館本線)」の版間の差分

編集の要約なし
(→‎3代目: typo)
372行目: 372行目:
}}
}}


1898(明治31)年に神居古潭に鉄道が開通して以降、河川の氾濫や落石の災害に見舞われ続け防災上大きな問題をはらんでいた。また隘路のため複線化が難しく春志内信号場の設置で輸送力の強化を図っていた。一方輸送量の伸びは著しく増加し、在来線での対応が難しくなり、1964(昭和39)年2月滝川 - 旭川間53.4kmの複線化設備投資計画が承認決定した。老朽施設の更新や主に腹付けの線増であったが、神居古潭に於いては落石・崩土災害対策と急カーブの解消のため完全に別線で整備することになった。新線は納内駅を出て神居古潭手前で左に分岐し'''神居古潭トンネル'''・股堀川橋梁・'''伊納第1トンネル'''・鱒取川橋梁・'''伊納第2トンネル'''を通過後在来線に合流し伊納駅に至るルートで、在来線の神居古潭駅・春志内信号場は廃止とする。この納内駅 - 伊納駅間12.8kmのうち71%がトンネル区間であり、蛇紋岩地帯を抜ける難しい工事で、ここの3トンネルの出来が路線全体の複線電化開業を左右する重要な現場となった。1965(昭和40)年4月着工、1969(昭和44)年9月30日滝川 - 旭川間は総工費124億円かけ複線化及び電化が完了した。
1898(明治31)年に神居古潭に鉄道が開通して以降、河川の氾濫や落石の災害に見舞われ続け防災上大きな問題をはらんでいた。また隘路のため複線化が難しく春志内信号場の設置で輸送力の強化を図っていた。一方輸送量の伸びは著しく増加し、在来線での対応が難しくなり、1964(昭和39)年2月滝川 - 旭川間53.4kmの複線化設備投資計画が承認決定した。老朽施設の更新や主に腹付けの線増であったが、神居古潭に於いては落石・崩土災害対策と急カーブの解消のため完全に別線で整備することになった。新線は納内駅を出て神居古潭手前で左に分岐し'''神居トンネル'''・股堀川橋梁・'''伊納第1トンネル'''・鱒取川橋梁・'''伊納第2トンネル'''を通過後在来線に合流し伊納駅に至るルートで、在来線の神居古潭駅・春志内信号場は廃止とする。この納内駅 - 伊納駅間12.8kmのうち71%がトンネル区間であり、蛇紋岩地帯を抜ける難しい工事で、ここの3トンネルの出来が路線全体の複線電化開業を左右する重要な現場となった。1965(昭和40)年4月着工、1969(昭和44)年9月30日滝川 - 旭川間は総工費124億円かけ複線化及び電化が完了した。


=== 神居トンネルの建設 ===
=== 神居トンネルの建設 ===