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'''チャツトンネル'''は室蘭市の茶津岬先端にあったトンネル。現在はオープンカットされ周囲は埋め立てられ当時を偲ぶものは何も残っていない。
名称不明のトンネルは室蘭市の茶津岬先端にあったトンネル。現在はオープンカットされ周囲は埋め立てられ当時を偲ぶものは何も残っていない。


茶津岬は絵鞆半島の内側に延びる断崖を伴った岬で、室蘭市茶津町と同市入江町を分けている。茶津岬を越える道路は次の2通りあった。
茶津岬は絵鞆半島の内側に延びる断崖を伴った岬で、室蘭市茶津町と同市入江町を分けている。当トンネルを含む道路は1886(明治19)年札幌本道の一部として開通した。当時茶津岬を越える道路は次の2通りあった。
# 岬の縁を周りチャツトンネルを通るルート。現在の臨港道路入江茶津線に近い。
# 岬の縁を周り当トンネルを通るルート。現在の臨港道路入江茶津線に近い。
# 岬の付け根の緩やかな丘を越えるルート。現在の国道36号に近い。詳細は[[仏坂]]の項にゆずる。
# 岬の付け根の緩やかな丘を越えるルート。現在の国道36号に近い。詳細は[[仏坂]]の項にゆずる。
このうち1のルート中にチャツトンネルが存在した。1のルートは古来の道で2が開通する明治初期まで車馬はこのルートでしか通行できなかった。
2のルートがより古い道で1は仏坂の険難を避けるために作られた海沿いの平坦路であった。1907(明治40)年室蘭駅の貯炭場を拡張するため周囲で埋め立て工事が始まり、同時に岬の先端は切り崩されトンネルはオープンカットされた。2013(平成25)年3月25日11:00には臨港道路入江茶津線として再び跡地が公共道路として復活した。


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2019年6月29日 (土) 14:29時点における版

名称不明

000009218410.jpg

基礎情報
振興局 胆振総合振興局
用途 道路
路線名 臨港道路入江茶津線
現況 オープンカット
覆工 素掘


名称不明のトンネルは室蘭市の茶津岬先端にあったトンネル。現在はオープンカットされ周囲は埋め立てられ当時を偲ぶものは何も残っていない。

茶津岬は絵鞆半島の内側に延びる断崖を伴った岬で、室蘭市茶津町と同市入江町を分けている。当トンネルを含む道路は1886(明治19)年札幌本道の一部として開通した。当時茶津岬を越える道路は次の2通りあった。

  1. 岬の縁を周り当トンネルを通るルート。現在の臨港道路入江茶津線に近い。
  2. 岬の付け根の緩やかな丘を越えるルート。現在の国道36号に近い。詳細は仏坂の項にゆずる。

2のルートがより古い道で1は仏坂の険難を避けるために作られた海沿いの平坦路であった。1907(明治40)年室蘭駅の貯炭場を拡張するため周囲で埋め立て工事が始まり、同時に岬の先端は切り崩されトンネルはオープンカットされた。2013(平成25)年3月25日11:00には臨港道路入江茶津線として再び跡地が公共道路として復活した。