「オロフレ峠」の版間の差分

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|画像        = 20150620104820DSC_2400.JPG
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|画像説明    = 登別方坑口
|画像説明    = 登別方坑口
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|起点住所    = 虻田郡壮瞥町字黄溪
|起点住所    = 虻田郡壮瞥町字黄溪
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|起点東経    = 141.071502
|起点東経    = 141.071502
|終点住所    = 登別市カルルス町
|終点住所    = 登別市カルルス町
|終点座標     = 42.551492,141.081678
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|20万図名    = 苫小牧
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|5万図名      = 徳舜瞥山
|5万図名      = 徳舜瞥山
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|用途        = 道路
|用途        = 道路
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|管理者      = 室蘭建設管理部登別出張所
|施工者      = 鹿島・伊藤・岩倉共同企業体
|施工者      = 鹿島・伊藤・岩倉共同企業体
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|着工        = 1982(昭和57)年
|着工        = 1982(昭和57)年
|竣工        = 1988(昭和63)年10月
|竣工        = 1988(昭和63)年10月
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|開通        = 1988(昭和63)年10月8日
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|覆工        =  
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|照明        = ナトリウム×103
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|換気        = ジェットファン×3
|換気        = ジェットファン×3
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{{基礎情報
{{基礎情報
|よみ        = おろふれしょう
|よみ        = おろふれしょう(おろふれ)
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|名称        = オロフレ小(オロフレ)
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|画像説明    = 壮瞥方坑口
|画像説明    = 壮瞥方坑口
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|起点住所    = 登別市カルルス町
|起点住所    = 登別市カルルス町
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|2.5万図名    = カルルス温泉
|2.5万図名    = カルルス温泉
|用途        = 道路
|用途        = 道路
|路線名      = {{北海道道5号洞爺湖登別線}}(-1994)<BR>{{北海道道2号洞爺湖登別線}}(1994-)
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|管理者      =  
|管理者      = 室蘭建設管理部登別出張所
|施工者      = 松本組
|施工者      = 松本・門脇・谷組共同企業体(改修工事)
|設計者      = 北海道開発コンサルタント
|設計者      = 北海道開発コンサルタント(改修工事)
|工事費      = 1億2000万円
|工事費      = 1億2000万円(改修工事)
|着工        = 1978(昭和53)年4月
|着工        = 1978(昭和53)年4月(改修工事)
|竣工        = 1978(昭和53)年12月
|竣工        = 1928(昭和3)年(新設工事)<BR>1978(昭和53)年12月(改修工事)
|開通        =  
|開通        =  
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|閉鎖        =  
|現況        = {{現役}}
|現況        = {{現役}}
|延長        = 39.40m
|延長        = 39.40m(接続覆道含まず)
|内空断面画像 = 道路
|内空断面画像 = 道路
|内空断面画像2=  
|内空断面画像2=  
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|覆工        = Co
|覆工        = Co
|舗装        = Co T=25cm
|舗装        = Co T=25cm
|照明        = ナトリウム
|照明        = LED
|換気        = 自然
|換気        = 自然
|排水        = センタードレーン
|排水        = センタードレーン
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'''オロフレ峠'''は壮瞥町と登別市の間にある峠である。市町境界には'''オロフレトンネル'''、登別側にやや下ったところに'''オロフレ小トンネル'''がある。
'''オロフレ峠'''は壮瞥町と登別市の間にある峠である。市町境界には'''オロフレトンネル'''、登別側にやや下ったところに'''オロフレ小トンネル'''がある。


オロフレ峠は洞爺湖と登別温泉という北海道内有数の観光地の間にそびえ、また周辺では鉱業が盛んであり、道路の開削が望まれていた。1932(昭和7)年比較的工事が容易な壮瞥側が開通し、続いて1935(昭和10)年に登別側も開通し、オロフレ峠を越える初代の車道が現れた。しかしこの道は完成の翌年に水害で破壊され、その後は開戦によって復旧工事は後手に回され長きにわたり不通となった。ようやく復旧工事がなされ道路が復活したのは1951(昭和26)年のことである。1954(昭和29)年北海道道に昇格し逐次改良が施されていったが、サミット前後は最急勾配率10%、最小半径15m、オロフレ峠の大崩落地形の真下を通る危険極まりない状態であったから、1977(昭和52)年度より峠前後4,140mを大規模に改良する「オロフレ峠改良工事」がスタートした。この事業の要としてオロフレトンネルが計画された。変成岩が複雑に分布し重金属類の含有も見られたが、側壁導坑先進方式で施工しズリは盛土へ利用された。オロフレトンネルは1988(昭和63)年10月に完成し、オロフレ峠は旧道となったが、峠は観光地や登山口となっていたことから、壮瞥町側は廃止されずに現在も自動車で通行することができる。
オロフレ峠は洞爺湖と登別温泉という北海道内有数の観光地の間にそびえ、また周辺では鉱業が盛んであり、道路の開削が望まれていた。1932(昭和7)年比較的工事が容易な壮瞥側が開通し、続いて1935(昭和10)年に登別側も開通し、オロフレ峠を越える初代の車道が現れた。この時トンネルはオロフレ小トンネルの位置に1本あった。名前はオロフレトンネルである。しかしこの道は完成の翌年に水害で破壊され、その後は開戦によって復旧工事は後手に回され長きにわたり不通となった。ようやく復旧工事がなされ道路が復活したのは1951(昭和26)年のことである。1954(昭和29)年北海道道に昇格し逐次改良が施されていったが、サミット前後は最急勾配率10%、最小半径15m、オロフレ峠の大崩落地形の真下を通る危険極まりない状態であったから、1977(昭和52)年度より峠前後4,140mを大規模に改良する「オロフレ峠改良工事」がスタートした。この事業の要としてオロフレトンネルが計画された。変成岩が複雑に分布し重金属類の含有も見られたが、側壁導坑先進方式で施工しズリは盛土へ利用された。オロフレトンネルは1988(昭和63)年10月に完成し、オロフレ峠は旧道となったが、峠は観光地や登山口となっていたことから、壮瞥町側は廃止されずに現在も自動車で通行することができる。この改良工事に際し峠に新たなオロフレトンネルが計画されたことから、1978(昭和53)年度にそれまでオロフレトンネルと称したトンネルはオロフレ小トンネルと改称された。


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== ギャラリー ==
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ファイル:20150620104056DSC 2383.jpg|オロフレ峠は急カーブが連続する
ファイル:20150620104200DSC 2386.jpg|峠の頂上の赤い崖は「オロフレ」の語源である
ファイル:20100819130334DSC 0344.jpg|峠の頂上は景観が優れ、大観望と呼ばれている
ファイル:20100819130748DSC 0353.jpg|壮瞥側から大観望までは車で通行できるがここから登別側は廃止されている
ファイル:20100819134750DSC 0379.jpg|旧道上から見たオロフレトンネル登別方坑口
ファイル:20150620104400DSC 2390.jpg|オロフレトンネル登別方坑口には覆道が接続している
ファイル:20150620104652DSC 2394.jpg|オロフレトンネル登別方坑口
ファイル:20150620105304DSC 2403.jpg|オロフレトンネル坑内
ファイル:20150620105330DSC 2404.jpg|オロフレトンネル壮瞥方坑口
ファイル:20150620105540DSC 2407.jpg|オロフレトンネル壮瞥方坑口
ファイル:20150620105418DSC 2406.jpg|オロフレトンネルの工事銘板
ファイル:20150620103730DSC 2377.jpg|オロフレ小トンネルの両坑口には覆道が接続している
ファイル:20150620103844DSC 2379.jpg|オロフレ小トンネル登別方坑口
ファイル:20150620104004DSC 2381.jpg|オロフレ小トンネルの工事銘板
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[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|935]]
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[[カテゴリ:1988年開通]]
[[カテゴリ:1988年開通]]

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おろふれ
オロフレ

北海道 トンネルwiki ID:902367

登別方坑口
登別方坑口

基礎情報
Map_orofure.png
振興局
Temp map iburi subpref.png 胆振
総合振興局
起点
住所 虻田郡壮瞥町字黄溪
座標 42.554989,141.071502
終点
住所 登別市カルルス町
座標 42.551492,141.081678
図名
20万 5万 2.5万
苫小牧 徳舜瞥山 カルルス温泉
用途 道路
路線名 北海道道5号洞爺湖登別線(-1994)
北海道道2号洞爺湖登別線(1994-)
管理者 室蘭建設管理部登別出張所
施工者 鹿島・伊藤・岩倉共同企業体
工事費 46億8400万円
着工 1982(昭和57)年
竣工 1988(昭和63)年10月
開通 1988(昭和63)年10月8日
現況 現役
延長 935.0m(接続覆道含まず)

Temp cross section road.png
総幅員
=6.5m
車道幅員
=5.5m
中央高
=(N/A)
有効高
=4.5m
建築限界高
=(N/A)
照明 LED
換気 ジェットファン×3
等級
Temp tunnel class B.png
非常用
設備
通報装置、非常電話、警報表示板、警告灯、音信号発生機、消火器
おろふれしょう(おろふれ)
オロフレ小(オロフレ)

北海道 トンネルwiki ID:996041

壮瞥方坑口
壮瞥方坑口

基礎情報
Map_orofure-sho.png
振興局
Temp map iburi subpref.png 胆振
総合振興局
起点
住所 登別市カルルス町
座標 42.549342,141.087686
終点
住所 登別市カルルス町
座標 42.549136,141.088073
図名
20万 5万 2.5万
苫小牧 徳舜瞥山 カルルス温泉
用途 道路
路線名 準地方費道96号カルルス登別停車場線(-1957)
北海道道5号洞爺湖登別線(1954-1994)
北海道道2号洞爺湖登別線(1994-)
管理者 室蘭建設管理部登別出張所
施工者 松本・門脇・谷組共同企業体(改修工事)
設計者 北海道開発コンサルタント(改修工事)
工事費 1億2000万円(改修工事)
着工 1978(昭和53)年4月(改修工事)
竣工 1928(昭和3)年(新設工事)
1978(昭和53)年12月(改修工事)
現況 現役
延長 39.40m(接続覆道含まず)

Temp cross section road.png
総幅員
=8.5m
車道幅員
=5.5m
中央高
=6.43m
有効高
=4.5m
建築限界高
=(N/A)
坑門
型式
起点 面壁
終点 面壁
掘削
工法
矢板
覆工 Co
舗装 Co T=25cm
照明 LED
換気 自然
排水 センタードレーン
等級
Temp tunnel class D.png
非常用
設備
無し

オロフレ峠は壮瞥町と登別市の間にある峠である。市町境界にはオロフレトンネル、登別側にやや下ったところにオロフレ小トンネルがある。

オロフレ峠は洞爺湖と登別温泉という北海道内有数の観光地の間にそびえ、また周辺では鉱業が盛んであり、道路の開削が望まれていた。1932(昭和7)年比較的工事が容易な壮瞥側が開通し、続いて1935(昭和10)年に登別側も開通し、オロフレ峠を越える初代の車道が現れた。この時トンネルはオロフレ小トンネルの位置に1本あった。名前はオロフレトンネルである。しかしこの道は完成の翌年に水害で破壊され、その後は開戦によって復旧工事は後手に回され長きにわたり不通となった。ようやく復旧工事がなされ道路が復活したのは1951(昭和26)年のことである。1954(昭和29)年北海道道に昇格し逐次改良が施されていったが、サミット前後は最急勾配率10%、最小半径15m、オロフレ峠の大崩落地形の真下を通る危険極まりない状態であったから、1977(昭和52)年度より峠前後4,140mを大規模に改良する「オロフレ峠改良工事」がスタートした。この事業の要としてオロフレトンネルが計画された。変成岩が複雑に分布し重金属類の含有も見られたが、側壁導坑先進方式で施工しズリは盛土へ利用された。オロフレトンネルは1988(昭和63)年10月に完成し、オロフレ峠は旧道となったが、峠は観光地や登山口となっていたことから、壮瞥町側は廃止されずに現在も自動車で通行することができる。この改良工事に際し峠に新たなオロフレトンネルが計画されたことから、1978(昭和53)年度にそれまでオロフレトンネルと称したトンネルはオロフレ小トンネルと改称された。


ギャラリー