「真砂」の版間の差分

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'''真砂トンネル'''は国道232号・239号重複区間小平町花岡 - 同町大椴間の海岸沿いにあったトンネルである。開削当初は'''和尻トンネル'''と称していたが1913(大正2)改良時に真砂トンネルに改称された。
'''真砂トンネル'''は国道232号・239号重複区間小平町花岡 - 同町大椴間の海岸沿いにあったトンネルである。開削当初は'''和尻トンネル'''と称していたが1913(大正2)年改良時に真砂トンネルに改称された。


この周辺の海岸は断崖が続き、海岸縁に土地は少なく、交通のほとんどは海路によっていた。そこに道路の開発がもたらされたのは1886(明治19)年の北海道庁成立により資金調達に目途が立ってからのようである。トンネル周辺の道路は官費114円52銭2厘を投じたほか住民から440円の寄付を集め、1888(明治21)年10月31日に竣工した。<!-- ただし1897(明治30)年河野常吉の記録によるとトンネルは1884-1885(明治17-18)年頃つくられたことある。1883(明治16)年増毛郡役所にトンネル開削が出願されたが却下されたという事実が誤って伝わったものか。 -->トンネルは人馬専用のもので荷車は通れず、トンネル以外は相変わらず波の穏やかな日に波打ち際をかろうじて通行する有様であった。1912(明治45)年 - 1913(大正2)年道路の改良工事がついに行われ名は和尻トンネルから真砂トンネルに改められた。これによって車両の通行ができるようになったとみられる。1970(昭和45)年海岸道路の南端近くの難所に[[小平]]トンネルが開通し、同時に海岸道路は急速に改良工事が施され、1974(昭和49)には全線が舗装路となった。真砂トンネルの箇所は海側を埋め立て道を敷き、トンネルは廃止された。
この周辺の海岸は断崖が続き、海岸縁に土地は少なく、交通のほとんどは海路によっていた。そこに道路の開発がもたらされたのは1886(明治19)年の北海道庁成立により資金調達に目途が立ってからのようである。トンネル周辺の道路は官費114円52銭2厘を投じたほか住民から440円の寄付を集め、1888(明治21)年10月31日に竣工した。<!-- ただし1897(明治30)年河野常吉の記録によるとトンネルは1884-1885(明治17-18)年頃つくられたことある。1883(明治16)年増毛郡役所にトンネル開削が出願されたが却下されたという事実が誤って伝わったものか。 -->トンネルは人馬専用のもので荷車は通れず、トンネル以外は相変わらず波の穏やかな日に波打ち際をかろうじて通行する有様であった。1912(明治45)年 - 1913(大正2)年道路の改良工事がついに行われ名は和尻トンネルから真砂トンネルに改められた。これによって車両の通行ができるようになったとみられる。1970(昭和45)年海岸道路の南端近くの難所に[[小平]]トンネルが開通し、同時に海岸道路は急速に改良工事が施され、1974(昭和49)には全線が舗装路となった。真砂トンネルの箇所は海側を埋め立て道を敷き、トンネルは廃止された。

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