「日振」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1 バイト追加 、 2019年6月29日 (土)
45行目: 45行目:
第2次世界大戦が長引き辺富内線の完成が要望されていたため、切羽を増やして掘削をより早く進め、また地質を調査し今後の工事計画の材料とすることを目的に立坑が建設された。場所はトンネル中央よりやや富内方寄り(富内方坑口から約400m)の町村道沿い。深さ43.90m、大きさ2.74×1.74m。1942(昭和17)年9月に準備に取り掛かり10月1日より掘削を開始。粘性に富んだ地質で硬く締まって掘削は難航したが翌年2月1日に竣工した。立坑口基底からは本坑両坑口にむかって計100.0mを掘削を開始した。この区間の施工からはインバート完成までが早ければアーチに発生する亀裂が少なくなるという経験則が得られた。立坑の払は立坑の1本のみで自然換気されていたため、坑内外の温度差が無くなる夏には換気がほとんどされず作業員は頭痛に悩ませられ効率は低下した。
第2次世界大戦が長引き辺富内線の完成が要望されていたため、切羽を増やして掘削をより早く進め、また地質を調査し今後の工事計画の材料とすることを目的に立坑が建設された。場所はトンネル中央よりやや富内方寄り(富内方坑口から約400m)の町村道沿い。深さ43.90m、大きさ2.74×1.74m。1942(昭和17)年9月に準備に取り掛かり10月1日より掘削を開始。粘性に富んだ地質で硬く締まって掘削は難航したが翌年2月1日に竣工した。立坑口基底からは本坑両坑口にむかって計100.0mを掘削を開始した。この区間の施工からはインバート完成までが早ければアーチに発生する亀裂が少なくなるという経験則が得られた。立坑の払は立坑の1本のみで自然換気されていたため、坑内外の温度差が無くなる夏には換気がほとんどされず作業員は頭痛に悩ませられ効率は低下した。
=== 斜坑の着工 ===
=== 斜坑の着工 ===
軍部の要請でトンネル工事が急がされたため富内方に斜坑を設け速成をはかることとなった。1943(昭和18)年7月21日着手し48.7mの斜坑は9月14日に竣工した。取り付き点から幌毛志方に向かい導坑を41.5m掘削したがやはり土圧により変状が著しいのでいったん掘進をやめ切り拡げ及び覆工にかかり、翌年5月までに39mの施工を完了した。しかしその先の導坑が圧縮されていたので再び掘削し覆工を行った。この時インバートを先に施工した。1944(昭和19)年2月以降は富内方方向に逆心も行い富内方との貫通のめどが立つと再び幌毛志方にむけ掘削を行った。
軍部の要請でトンネル工事が急がされたため富内方に斜坑を設け速成をはかることとなった。1943(昭和18)年7月21日着手し48.7mの斜坑は9月14日に竣工した。取り付き点から幌毛志方に向かい導坑を41.5m掘削したがやはり土圧により変状が著しいのでいったん掘進をやめ切り拡げ及び覆工にかかり、翌年5月までに39mの施工を完了した。しかしその先の導坑が圧縮されていたので再び掘削し覆工を行った。この時インバートを先に施工した。1944(昭和19)年2月以降は富内方方向に逆進も行い富内方との貫通のめどが立つと再び幌毛志方にむけ掘削を行った。
 
=== 戦争による中止 ===
=== 戦争による中止 ===
第2次大戦が進むにつれ従事者は各地の防衛工事へ配置換えされ順次工事を中止していった。各坑口の中止年月日と覆工完成延長は次のとおりである。
第2次大戦が進むにつれ従事者は各地の防衛工事へ配置換えされ順次工事を中止していった。各坑口の中止年月日と覆工完成延長は次のとおりである。

案内メニュー