神居古潭 (函館本線)
神居古潭は、旭川市西部に位置する渓谷地帯である。上川盆地で流れを集めた石狩川が石狩平野へ流出する地点にあり、古くから交通上の難所であった。石狩川に国道12号と函館本線が並行するが、この項では右岸に敷かれた鉄道線を扱う。対岸に引かれた道路については神居古潭 (国道12号)を参照。
1代目
かむいこたん
神居古潭
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いのう
伊納
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1898(明治31)年7月16日北海道官設鉄道上川線として鉄道線が開通した。この時トンネルは神居古潭トンネルと伊納トンネルの2本。
2代目
はるしない
春志内
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いのう
伊納
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1代目は落石などが多く運行に支障があったため継続的に整備が続けられ、春志内トンネル及び2代目伊納トンネルが新設された。付け替えは1928(昭和3)年頃であったとされる。神居古潭トンネルは1代目のまま付け替えられず使われた。
3代目が供用されると2代目は旭川市に移管されサイクリングロードに再整備された。廃線跡をサイクリングロードに転用した例は国内初といわれる。
3代目
かむい
神居
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いのうだいいち
伊納第1
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いのうだいに
伊納第2
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1898(明治31)年に神居古潭に鉄道が開通して以降、河川の氾濫や落石の災害に見舞われ続け防災上大きな問題をはらんでいた。また隘路のため複線化が難しく春志内信号場の設置で輸送力の強化を図っていた。一方輸送量の伸びは著しく増加し、在来線での対応が難しくなり、1964(昭和39)年2月滝川 - 旭川間53.4kmの複線化設備投資計画が承認決定した。老朽施設の更新や主に腹付けの線増であったが、神居古潭に於いては落石・崩土災害対策と急カーブの解消のため完全に別線で整備することになった。新線は納内駅を出て神居古潭手前で左に分岐し神居トンネル・股堀川橋梁・伊納第1トンネル・鱒取川橋梁・伊納第2トンネルを通過後在来線に合流し伊納駅に至るルートで、在来線の神居古潭駅・春志内信号場は廃止とする。この納内駅 - 伊納駅間12.8kmのうち71%がトンネル区間であり、蛇紋岩地帯を抜ける難しい工事で、ここの3トンネルの出来が路線全体の複線電化開業を左右する重要な現場となった。1965(昭和40)年4月着工、1969(昭和44)年9月30日滝川 - 旭川間は総工費124億円かけ複線化及び電化が完了した。
神居トンネルの建設
新設された3トンネルの中で最も難工事だったのが本トンネルである。そもそも神居古潭は東西30km南北350kmに及ぶ神居古潭帯と呼ばれる変成岩類の構造体で知られ、蛇紋岩メランジュが褶曲断層によって複雑化し、構造が十分把握できない中で着工となった。蛇紋岩は強土圧を発生させる岩石であり、トンネル工事に及ぼす負の影響は極めて大きく、神居古潭トンネルにあっては本坑着工に先駆けて掘られた試験坑が一夜にして崩壊させられたほどだった。
1965(昭和40)年9月起点側(函館方)の坑口が着工、底設導坑で掘削されたが45mでさっそく蛇紋岩帯に達し側壁導坑に変更された。ここから750mもの間蛇紋岩の強大な地圧に苦しめられ、縫い返しや補強を繰り返し行い、途中には出水・土砂流出に見舞われこれの復旧に27日間を要したがついに蛇紋岩を突破した。ここからかんらん岩や黒色片岩などの破砕帯を抜け、しばらく蛇紋岩は現れないと予想され、再び導坑は底設に戻された。しかし坑口からおよそ1,000mほどの所で突如蛇紋岩にぶつかり約150m間で本トンネル最強の地圧を記録した。導坑は底設のままとしたが、支保工を補強しつつ導坑に30cm厚のコンクリートを覆工し、今後の工法を検討するため切り拡げを中断して導坑のみを1,500mまで掘進したが導坑すらも変状がひどく現れ補強を要した。切り拡げに関しては底設導坑は開けたものの上半にも側壁導坑を貫き切り拡げを行う特殊なサイロット工法を用い、この区間の覆工厚は150cmに達した。その後は通常の側壁導坑で掘削したが、やはり度々変状が現れては補強を行い、酷いところでは上半を取り壊して再施工することとなった。1967(昭和42)年1月25日ついに起点側坑口の工区で側壁導坑が貫通し、これにより切り拡げが1968(昭和43)年12月再開されたが、先に施工された底設導坑を何としても保護しなければならないため数々の補強を施し死守された。
起点側から少し遅れて1965(昭和40)年10月反対側となる終点側(旭川方)も着工した。こちらの現場は狭隘な地形のため1966(昭和41)年2月には石狩川に仮橋を架設して物資を運搬し、横坑からの掘削を行った。掘削工法は当初底設導坑であったがこちらもやはり側壁導坑に中途変更された。こちらも蛇紋岩による強土圧に苦しめられ縫い返しや補強は数知れず行われた。上半掘削は1968(昭和43)年4月30日に完了した。
伊納第1トンネルの建設
予備調査において多くは結晶片岩であり神居トンネルと比較して良い地質と予想され、通常の底設導坑先進上部半断面で掘削を開始したが、終点側から180m掘進した時葉片状蛇紋岩と黒色片岩の破砕帯に入り変状をきたしたため、導坑の支保工を補強し上半掘削をリングカットに変更、二重巻工法をとった。逆坑口の起点側は始めから蛇紋岩と黒色片岩の破砕帯で軟弱な地質であったため、底設導坑を掘削後した後上半では鏡にセメントを注入し固め頂設導坑を掘って切り拡げた。
また伊納第1トンネルは起終点側とも隣のトンネルが接近し狭隘な地形のため坑外施設と工事用仮設道路の設置には不便を強いられた。
伊納第2トンネルの建設
終点側70m間を開削工法で施工後底設導坑先進上部半断面で掘削を進めた。地山のゆるみによって支保工が挫屈し縫い返しを要した箇所があったが、上記2トンネルよりは安定した黒色片岩・緑色片岩の地質であった。
竣工後の変状と改修
上で触れたように強土圧によってさんざん苦しめられた神居トンネル新設工事であったが、その土圧は供用開始後もトンネルを襲い、現れた変状により大規模な改修工事を必要とするまでに至った。
1987(昭和62)年からL=25mにわたり軌道が隆起したため複数回軌道下を掘り下げる対策が取られた。しかし1994(昭和6)年にはインバートと側壁の接続部が破壊され隆起が発生した。隆起速度も断面を横方向に圧縮する内空変位も非常に早く進み、トンネルの安全性が損なわれたことから補強工事が行われることになった。側壁部に長さ10mのグラウンドアンカーを、インバードには9mのロックボルトを打ち込み、破壊された側壁とインバートの接続部を改築した。