稲穂峠
稲穂峠は後志の仁木町と共和町の境界にある峠である。国道5号と函館本線が通っており、どちらも函館と札幌を結ぶ大動脈である。
かつては稲穂峠を越える時は神に御幣をささげて旅の安全を祈った。御幣のことをアイヌ語ではイナウと呼びこれが稲穂峠の語源であるとされる。
国道は1964(昭和39)年にトンネル化し、現在は倶知安余市道路の事業に伴い新トンネルが建設中である。
トンネル化以前
峠の南側は岩内、北側は余市に通じているが、この古くから栄えた2つの港町をつなぐのは難所の神威岬を周る海路だけであった。
1809(文化6)年場所請負人の菊池新左衛門・粕谷喜兵衛、福島屋新左衛門が山道を開削した。当時余市山道と呼ばれたこの山道により稲穂峠に初めての道が誕生した。この道は簡素なものだったのでその後荒廃したため、1856(安政3)年4月に新たに山道を開削した。これも場所請負人仙北谷仁左衛門・福島屋新左衛門・竹屋長左衛門・住吉屋徳兵衛及び漁民数名による開削であった。しかしこの道も簡素であったため荒廃の定めからは逃れられなかった。
明治時代になると稲穂峠を越える人が増えてきたため時より修繕され、1880(明治13)年9月には幅2間の道路が開削された。1894(明治27)年頃からは馬車や馬橇が見られるようになった。
峠付近は冬期間は交通が途絶し、昭和に入り自動車が通るようになるとカーブや勾配、幅員がきつすぎる問題も浮上したため、1933(昭和8)年からは調査測量が行われてきたが戦争により中断してしまい、戦後になり再び改良の話が持ち上がった。
事故
1954(昭和29)年9月30日稲穂峠の7合目付近で日本通運のトラックが他車両との離合の際谷底に転落し1名が死亡1名が重傷を負う事故があった。このトラックは岩内で発生した大火に救援物資を運ぶ途中で、当時は物資を輸送するトラックやハイヤーで渋滞していた。この事故を受け現場には慰霊及び交通安全祈願の石碑が建立され、1代目トンネルの開通後はトンネル余市方坑口前に移設された。
1代目
しまつけない
島付内
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いなほ
稲穂
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従来の峠道に代わりトンネル化が計画された。旧道の延長は2,600m、最急勾配が12%、最小半径5mであったが、トンネル化の事業ではこれを1,400m、6%、100mに緩和し、中核にこの稲穂トンネルがあった。延長1,200mの直線トンネルで、当時北海道で最も長く、日本では第4位の道路トンネルであった。完成は1961(昭和36)年を予定していたが1961(昭和36)年7月に豪雨被害を受け翌年にずれ込んだ。トンネルがほぼ出来上がった1962(昭和37)年には余市方の峠道を全面的に付け替える工事が行われ翌1963(昭和38)年に舗装も完了した。岩内方は中腹に島付内トンネルを掘り抜き1965(昭和40)年には舗装もほぼ出来上がった。
火災
2020(令和2)年11月3日23:50頃、本トンネル内を走行中のトラックから出火しトンネル内でトラックの運転席が焼けた。火は出火から1時間50分後に消し止められ、運転手にけがはなかった。
この火災によりトンネル内のジェットファン・照明・漏水防止板・防災配線設備が損傷し、4日0:30からトンネル前後1.23kmが通行止めとなった。復旧作業が終わり通行止めが解除されたのは6日6:00で、この間利用者はトーマル峠や樺立トンネルへの大きな迂回を強いられた。
2代目
新稲穂 R側(仮称)
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新稲穂 L側(仮称)
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