能津登
能津登トンネルは国道229号の蘭越町と寿都町の境界、尻別岬を貫くトンネルである。
1代目
のつと
能津登
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北海道の日本海沿岸では古くからニシン漁が盛んで、場所請負人や運上屋の間は主に海路によってつながっていたが、時化によって途絶した際のために陸路が欲されていた。『島牧村史』によれば1799(寛政11)年、当トンネルのある尻別川河口から寿都以西に道が開削されたことが記されている。1874(明治7)年寿都・歌棄・磯谷に郵便取扱所が置かれたが悪天候が続くと途絶してしまったといわれ、道路としての機能は当時まだまだ不十分であったことがうかがえる。寿都には郡役所があり道路の需要があったのであろう、1882(明治15)年に寿都 - 磯谷間、つまりこのトンネルのある区間が開通した。当時はまだトンネルはなかったがその後能津登トンネルが誕生した。資料により開削年が前後するが遅くとも1911(明治44)年にはすでに開通していたと思われる。当初はすべて素掘りであったが、のちに坑口付近のみ巻き立てが行われた。現況調書を頼るとこの改修が行われたのは1963(昭和38)年11月のことか。2代目が開通してからも通行できる状態であったらしくしばらく地形図にその姿を見せていた。
2代目
のつと
能津登
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時代が昭和に入ると新時代の道路が要望されたが間もなく日本は戦争へと突き進み次の時代へと持ち越しとなった。戦後になると当トンネルの北に位置する雷電越を海岸道路に付け替える大工事に力がそそがれまたも能津登は取り残されてしまった。雷電の海岸道路が開通したのは1963(昭和38)年で、ここからようやく能津登に手が付けられたのだった。当時の現役国道としては甚だ時代遅れな素掘り隧道であった能津登トンネルは、1968(昭和43)年11月2代目が竣工し付け替えられた
3代目
のつと
能津登
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2代目は歩道がなく車道幅員もわずか5.5mと狭隘であったため2代目を拡幅し3代目の能津登トンネルが誕生した。