梅川
梅川トンネルは積丹半島の東の付け根にあるトンネル。余市町内の梅川町と白岩町の間にそびえる出足平峠を抜ける。古く積丹半島の交通のほとんどは海上交通に頼っており、陸上交通は波の穏やかな時に海食崖の下のわずかな海岸を使いようやく徒歩の通行が可能になっている程度で、出足平峠付近の海岸ではがあまりにも急峻なためそれもかなわなかった。1845(弘化2)年、余市場所の支配人2代目林長左衛門が余市から現在の豊浜町に達する山道を切り開いた。これが出足平峠の原型である。また1855(安政2)年には古平運上屋の岡田半兵衛は現在の沖町から余市に向かい新道を開削し、明治18(1885)年には補修が行われている。しかしこの道も仮分け道であり道路の役割を果たすにはまだまだ不十分なものであった。1907(明治40)年5月31日、北海道庁告示第275号により仮定県道西海岸線の一部に定められ1908(明治41)年11月に道路は完成した。当時まだ出足平峠にトンネルはなかった。この道は1920(大正9)年4月1日準地方費道29号入舸岩内線に、1938(昭和13)年9月28日地方費道50号入舸余市線となった。
1代目
うめかわ
梅川
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戦後、積丹半島の開発の第一手として道路開発が住民から望まれていた。1948(昭和23)年1月から陳情が行われると8月には余市町湯内(現在の豊浜町) - 古平町沖村(現在の沖町)の工事が始まった。従来山道によっていた道路を海岸に移すものであったが唯一出足平峠は内陸の峠を越える道路として残された。事業はあまりの難工事のため2級国道229号小樽江差線へと昇格され予算を得た。しかし出足平峠の区間まで海岸道路化してしまうと追加で8本のトンネル掘削が増え、中には1本で700mもの延長となるものも含まれ工事費が膨らむことから、一時提案されたのみで終わった。海岸道路がほぼ姿を現わし最後に手が付けられたのが出足平峠であった。トンネル前後は大きく地形を変え、白岩町の住宅は移動・整理された。トンネルは当初の予定では1957(昭和32)年秋までに完成することになっていたが、余市方坑口で地すべりが発生し大幅に遅れをきたした。ついには工事はストップしたが1年遅れでようやく完成し1958(昭和33)年秋に開通した。これにより余市町と古平町を結ぶ海岸道路は10年にわたる工事を終えようやく全通したのであった。
2代目