「稚南部」の版間の差分
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Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) 編集の要約なし |
Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) (+ギャラリー) |
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夕張の石炭産業は拡大を続け比例して増加した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。稚南部トンネルのある区間は1912(大正元)11月19日に複線化が完了したが、この時隣に2代目を建設し上下線で1代目2代目をそれぞれ使用した。JR北海道発表資料によるとトンネルの完成は1918(大正7)年ということであるので、トンネル工事をしながら複線として供用していたことになる。1932(昭和7)年1代目が廃止され2代目のみの単線になり路線が廃止されるまでこの状態が続いた。最後期には老朽化が進み覆工の剥落や湧水結氷が発生し、2014(平成26)年2月からは不良路盤の凍上のため25km/hでの徐行運転となっていた。2019(平成31)年4月1日、当トンネル属する石勝線夕張支線が廃線となりトンネルも廃止された。 | 夕張の石炭産業は拡大を続け比例して増加した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。稚南部トンネルのある区間は1912(大正元)11月19日に複線化が完了したが、この時隣に2代目を建設し上下線で1代目2代目をそれぞれ使用した。JR北海道発表資料によるとトンネルの完成は1918(大正7)年ということであるので、トンネル工事をしながら複線として供用していたことになる。1932(昭和7)年1代目が廃止され2代目のみの単線になり路線が廃止されるまでこの状態が続いた。最後期には老朽化が進み覆工の剥落や湧水結氷が発生し、2014(平成26)年2月からは不良路盤の凍上のため25km/hでの徐行運転となっていた。2019(平成31)年4月1日、当トンネル属する石勝線夕張支線が廃線となりトンネルも廃止された。 | ||
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ファイル:20171031124246DSC_0006.jpg|2代目現役時の夕張方坑口 | |||
ファイル:20171031124018SANY0001.MP4_snapshot_00.48.164.jpg|2代目を通過する列車 | |||
ファイル:20200511120824DSC_0007.jpg|廃止後の夕張方坑口 | |||
ファイル:20240802105046DSC_0047.jpg|廃止後の新夕張方坑口 | |||
ファイル:20240802103136DSC_0028.jpg|1代目夕張方坑口 | |||
ファイル:20240802103306DSC_0033.jpg|1代目坑内 | |||
ファイル:20240802105052DSC_0048.jpg|2代目新夕張方坑口 | |||
ファイル:20240802103216DSC_0030.jpg|2代目坑内 | |||
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2025年2月26日 (水) 21:13時点における最新版
稚南部トンネルは石勝線夕張支線清水沢駅 - 鹿ノ谷駅間にあったトンネル。
1代目
1892(明治25)年11月1日、夕張での大規模な採炭が始まり、同時に産出する石炭を港まで運ぶため北海道炭礦鉄道線が敷かれた。初期にはまだ仮工事の箇所が多数あり本建設は1898(明治31)年に完了した。このトンネルは単線であったが2代目ができ複線となった。しかし夕張鉄道線が1926(大正15)年10月14日に開通し、輸送量が分散されたことから、1932(昭和7)年11月17日に単線化が行われた。これにより1代目は廃止され2代目1本で単線となった。廃止後は金網で閉鎖こそされたものの開口していた。
2代目
夕張の石炭産業は拡大を続け比例して増加した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。稚南部トンネルのある区間は1912(大正元)11月19日に複線化が完了したが、この時隣に2代目を建設し上下線で1代目2代目をそれぞれ使用した。JR北海道発表資料によるとトンネルの完成は1918(大正7)年ということであるので、トンネル工事をしながら複線として供用していたことになる。1932(昭和7)年1代目が廃止され2代目のみの単線になり路線が廃止されるまでこの状態が続いた。最後期には老朽化が進み覆工の剥落や湧水結氷が発生し、2014(平成26)年2月からは不良路盤の凍上のため25km/hでの徐行運転となっていた。2019(平成31)年4月1日、当トンネル属する石勝線夕張支線が廃線となりトンネルも廃止された。