「張碓 (函館本線)」の版間の差分
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Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) (ページの作成:「{{基礎情報 |よみ = はりうす |名称 = 張碓 |画像 = |画像説明 = |地図 = |振興局 = 後志総合振興局…」) |
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|よみ = はりうす | |よみ = はりうす | ||
|名称 = 張碓 | |名称 = 張碓 | ||
|TID = 423488 | |||
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|地図 = | |地図 = | ||
|振興局 = | |振興局 = {{後志}} | ||
| | |起点住所 = 小樽市朝里4丁目 | ||
| | |起点北緯 = 43.169211 | ||
|起点東経 = 141.092294 | |||
|終点住所 = 小樽市張碓町 | |||
|終点北緯 = 43.165494 | |||
|終点東経 = 141.102229 | |||
|20万図名 = 札幌 | |20万図名 = 札幌 | ||
|5万図名 = 銭函<BR>小樽東部 | |5万図名 = 銭函<BR>小樽東部 | ||
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|路線名 = 函館本線 | |路線名 = {{函館本線}} | ||
|管理者 = | |管理者 = | ||
|施工者 = 關組(新設工事)<BR>北拓建設(1959年伸長工事) | |施工者 = 關組(新設工事)<BR>北拓建設(1959年伸長工事) | ||
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|開通 = 1912(大正元)年12月1日(上り)<BR>1912(大正元)年12月24日(下り) | |開通 = 1912(大正元)年12月1日(上り)<BR>1912(大正元)年12月24日(下り) | ||
|閉鎖 = | |閉鎖 = | ||
|現況 = 現役 | |現況 = {{現役}} | ||
|延長 = 1,254ft(1912)<BR>534.6m(1912-1951)<BR>580.9m(1951-1952)<BR>620.9m(1952-1959)<BR>910.9m(1959-) | |延長 = 1,254ft(1912)<BR>534.6m(1912-1951)<BR>580.9m(1951-1952)<BR>620.9m(1952-1959)<BR>910.9m(1959-) | ||
|内空断面画像 = 複線電化 | |||
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|車道幅員 = | |車道幅員 = | ||
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|有効高 = | |||
|建築限界高 = | |建築限界高 = | ||
|電化/非電化 = 電化 | |電化/非電化 = 電化 | ||
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|軌間 = 1,067mm | |||
|起点坑門型式 = | |||
|終点坑門型式 = | |||
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|覆工 = | |覆工 = | ||
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{{デフォルトソート:はりうす}} | {{デフォルトソート:はりうす}} | ||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|911]] | [[カテゴリ:1000m未満のトンネル|911]] | ||
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2022年4月14日 (木) 18:34時点における最新版
はりうす
張碓
北海道 トンネルwiki ID:423488 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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張碓トンネルは函館本線朝里駅 - 張碓駅(現在は廃止)間に存在する鉄道トンネルである。
この区間は北海道で初めての鉄道といわれる幌内鉄道として1880(明治13)年11月28日に開通していたが、当時はトンネルを用いず、海沿いの崖下に単線の軌道が敷かれていた。1911(明治44)年6月20日に複線化が完了したが依然として急カーブと落石の危険にさらされていたので、同年6月2日にトンネルが着工し翌年開通した。旧線跡地はしばらく採石場として利用され輸送のため軌道も残されていたが戦後になりこれは廃止された。
トンネル化した後も落石や雪崩により支障をきたすことが多く、トンネルに落石覆いを接続する工事が行われた。1952(昭和27)年7月着工、1953(昭和28)年竣工でこれにより当トンネルは小樽(朝里駅側)方向に40m伸長した。その後も小樽側坑口付近で亀裂の入った岩石が見つかったため1957(昭和32)年には400m間の線路変更を伴い落石覆いを伸長し1959(昭和34)年10月に工事を竣工させた。