「渡島中山峠」の版間の差分
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== 1代目 == | == 1代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = なかやま | ||
|名称 | |名称 = 中山 | ||
|画像 | |画像 = 20120429145436DSC_0388.JPG | ||
|画像説明 | |画像説明 = 北斗方坑口 | ||
|振興局 | |地図 = | ||
| | |振興局 = 起点:渡島総合振興局<BR>終点:檜山振興局 | ||
|20万図名 | |起点 = 北斗市中山 | ||
|5万図名 | |終点 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |20万図名 = 函館 | ||
|用途 | |5万図名 = 館 | ||
|路線名 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|管理者 | |用途 = 道路 | ||
|施工者 | |路線名 = 地方費道1号札幌江差線(-1953)<BR>2級国道227号函館江差線(1953-1965)<BR>一般国道227号(1965-) | ||
|設計者 | |管理者 = | ||
|工事費 | |施工者 = | ||
|着工 | |設計者 = | ||
|竣工 | |工事費 = 10万余円 | ||
|開通 | |着工 = 1923(大正12)年5月 | ||
|閉鎖 | |竣工 = 1924(大正13)年6月 | ||
|現況 | |開通 = | ||
| | |閉鎖 = | ||
|総幅員 | |現況 = 廃止<BR>起点側坑口柵による閉鎖<BR>終点側坑口崩落 | ||
| | |延長 = 115.60m | ||
|坑門型式 | |総幅員 = 5.50m | ||
|掘削工法 | |車道幅員 = 4.5m | ||
|覆工 | |軌間・軌道数 = | ||
|舗装 | |中央高 = | ||
|照明 | |建築限界高 = 4.0m | ||
| | |有効高 = | ||
| | |電化/非電化 = | ||
|坑門型式 = 面壁 | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = 側壁:間知石<BR>アーチ:レンガ | |||
|舗装 = 未舗装 | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。 | 山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。 | ||
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== 2代目 == | == 2代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = なかやま | ||
|名称 | |名称 = 中山 | ||
|画像 | |画像 = | ||
|画像説明 | |画像説明 = | ||
|振興局 | |地図 = | ||
| | |振興局 = 起点:渡島総合振興局<BR>終点:檜山振興局 | ||
|20万図名 | |起点 = 北斗市中山 | ||
|5万図名 | |終点 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |20万図名 = 函館 | ||
|用途 | |5万図名 = 館 | ||
|路線名 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|管理者 | |用途 = 道路 | ||
|施工者 | |路線名 = 一般国道227号 | ||
|設計者 | |管理者 = | ||
|工事費 | |施工者 = 松本・工藤・高木共同企業体(1962)<BR>松本・道南共同企業体(1963-) | ||
|着工 | |設計者 = 函館開発建設部 | ||
|竣工 | |工事費 = 291,000,000円 | ||
|開通 | |着工 = 1962(昭和37)年12月中旬 | ||
|閉鎖 | |竣工 = 1966(昭和41)年3月 | ||
|現況 | |開通 = | ||
| | |閉鎖 = | ||
|総幅員 | |現況 = 現役 | ||
|高さ | |延長 = 580m | ||
|坑門型式 | |総幅員 = 7.0m | ||
|掘削工法 | |車道幅員 = 6.5m | ||
|覆工 | |軌間・軌道数 = | ||
|舗装 | |中央高 = | ||
|照明 | |建築限界高 = 4.5m | ||
| | |有効高 = | ||
| | |電化/非電化 = | ||
|高さ = 4.5m | |||
|坑門型式 = 起点:ルーバー<BR>終点:面壁 | |||
|掘削工法 = 矢板 | |||
|覆工 = Co T=50cm | |||
|舗装 = Co・As | |||
|照明 = ナトリウム×236 | |||
|換気 = 自然 | |||
|排水 = サイドドレーン | |||
|トンネル等級 = C | |||
|非常用設備 = 有り | |||
|注釈 = 1998(平成10)年照明改修 | |||
}} | }} | ||
1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。 | 1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。 | ||
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== 3代目 == | == 3代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = しんなかやま | ||
|名称 | |名称 = 新中山(仮称) | ||
|画像 | |画像 = | ||
|画像説明 | |画像説明 = | ||
|振興局 | |地図 = | ||
| | |振興局 = 起点:渡島総合振興局<BR>終点:檜山振興局 | ||
|20万図名 | |起点 = 北斗市中山 | ||
|5万図名 | |終点 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |20万図名 = 函館 | ||
|用途 | |5万図名 = 館 | ||
|路線名 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|管理者 | |用途 = 道路 | ||
|施工者 | |路線名 = 一般国道227号 | ||
|設計者 | |管理者 = | ||
|工事費 | |施工者 = | ||
|着工 | |設計者 = | ||
|竣工 | |工事費 = | ||
|開通 | |着工 = | ||
|閉鎖 | |竣工 = | ||
|現況 | |開通 = | ||
| | |閉鎖 = | ||
| | |現況 = 建設中 | ||
| | |延長 = 約800m | ||
|坑門型式 | |車道幅員 = | ||
|掘削工法 | |軌間・軌道数 = | ||
|覆工 | |中央高 = | ||
|舗装 | |建築限界高 = | ||
|照明 | |有効高 = | ||
| | |電化/非電化 = | ||
| | |坑門型式 = | ||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = | |||
|舗装 = | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
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2代目トンネルが老朽化し、また防災の面からも必要が生じ3代目が計画された。2013(平成25)年に渡島中山防災事業として事業化。トンネルとその前後1.4kmを整備する。 | 2代目トンネルが老朽化し、また防災の面からも必要が生じ3代目が計画された。2013(平成25)年に渡島中山防災事業として事業化。トンネルとその前後1.4kmを整備する。 |
2020年9月14日 (月) 12:06時点における版
中山峠(同名の峠があるため渡島中山峠とも呼ばれる)は函館と道南江差を結ぶ国道227号のほぼ中間にあたる北斗市と厚沢部町の境界にある峠である。2世代のトンネルがあり、さらに新トンネルが建設中である。
山道時代
中山峠の初めての道は6代目鈴鹿甚右衛門によって開かれた。鈴鹿家は江差に続く商家で代々甚右衛門を襲名しその6代目が山道を開削した。6代目甚右衛門は他にも長坂庄兵衛と組み太田山道・狩場山道を開削している。この2山道の開削ののち1858(安政5)年に半年間の工事を経てここ中山峠に山道を築き上げた。山道時代の中山峠は地名をとって厚沢部越・芦沢部越・大野越・鶉山道または開削者の名前から鈴鹿山道などと呼ばれた。山道は函館 - 江差を結ぶ重要な道であったから大小の改修を重ね冬季にも使われ続けた。
1代目
なかやま
中山
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山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。
2代目
なかやま
中山
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1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。
3代目
しんなかやま
新中山(仮称)
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2代目トンネルが老朽化し、また防災の面からも必要が生じ3代目が計画された。2013(平成25)年に渡島中山防災事業として事業化。トンネルとその前後1.4kmを整備する。