「幌満」の版間の差分
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2023年10月19日 (木) 20:21時点における最新版
幌満トンネルは様似町の日高耶馬渓付近から幌満川河口に至る道路トンネルである。蝦夷地の道路開削としてはごく初期のものになる様似山道を始祖とする海岸道路にあるトンネル。山道が放棄されてから使われた素掘りのトンネル2本も幌満川河口付近に並んで開口している。
トンネル誕生前
ここの道の歴史は幕府が東蝦夷地を直轄地とした1799(寛政11)年に始まる。それまでの蝦夷地で道といえば獣道や踏み分け道が当たり前で、それすら無いことも普通であった。この頃ロシアは不凍港を求めて北蝦夷地や千島といった北方地域に度々船を送り、蝦夷地にあっても手中に収めんとすべく動き始めていた。このロシアの圧力から東蝦夷地を防衛するにはあまりに交通が不便であり、特に陸上交通に至っては実用的な道は全く存在しないに等しく、一旦海が時化て船が止まれば何日も交通が途絶する状態であった。そのような窮状を憂いた幕府は、東蝦夷地を直轄地とするやいなや、まず特に難所となるシャマニ(様似)とサルゝ(猿留)の道路開削を始めた。大河内政壽が総督となり中村小市郎がシャマニを、最上徳内がサルゝの工事をそれぞれ担当した。1799(寛政11)年シャマニに完成した道は様似山道と呼ばれ馬がようやく通ずる程度に仕上がったが、それでもこの道は海が荒れている時にのみ使われる迂回路のような存在でありまだ交通の主役というわけではなかった。この山道は修繕を繰り返しつつ使われた。
1代目
ほろまん
幌満
北海道 トンネルwiki ID:861239 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1886(明治19)年北海道庁の発足と共に各所の道路整備が進められ、猿留山道下の海岸道路整備が一段落した1891(明治24)年から様似山道下の海岸道路も着工した。数箇所では矢来を組んで中に石を詰め、海へ突き出た岩は発破で除去するかトンネルを穿った。トンネル工事は浦川村ウロコベツ(現在の浦河町常盤町)の石工である田中五作が請け負い、全部で11のトンネルが完成した。幌満川河口に位置するこのトンネルもその一つである。これによって完成した海岸道路はまだ馬車こそ通れなかったものの従来の様似山道に代わり人馬の通行を支えた。
2代目
めなしとまりだいごごう
目無泊第5号
北海道 トンネルwiki ID:464616 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ほろまん(めなしとまりだいろくごう)
幌満(目無泊第6号)
北海道 トンネルwiki ID:749691 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1920(大正9)年、道路構造令が成立し、道路の基本的な規格が定められた。地形の険しさからこれを満たさない箇所が多かった日高耶馬渓の道路は改修を余儀なくされ、1926(大正15)年に鵜苫川から東方向に改修を始め、1927(昭和2)年には様似山道下の冬島から幌満の海岸道路も馬車も通ずる道となった。この修築は天然石とコンクリートを巧みに利用したと伝えられる。この時築造された護岸擁壁は目無泊6号トンネルの坑口前に現存する。トンネルは合計6本掘られ、幌満トンネル旧道には目無泊第5号と目無泊第6号の2本があった。1958(昭和33)年道路構造令が改正され、戦時中手入れが不足した道路の荒廃を是正し、新たな時代に向けて更なる改良が全国で行われていった。その中で1959(昭和34)年から1964(昭和39)年の間に目無泊第5号はオープンカット、目無泊第6号は幌満トンネルに改称した。1967(昭和42)年には幌満川河口に架かる幌満橋架け替えのためのルート変更があり目無泊第6号は廃止となった。目無泊第6号は幌満川河口付近に今も先代の幌満トンネル(TID861239)と並んで開口している。
3代目
ほろまん
幌満
北海道 トンネルwiki ID:184961 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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目無泊第6号が廃止されてから幌満川河口地域に道路トンネルは無くなったが、日高耶馬渓の崖下を通る本道路は落石が多かったため、この危険を取り除き多くの急カーブも解消する一般国道336号幌満防災が1988(昭和63)年事業化した。東冬島トンネル付近から日高耶馬渓・幌満川を越え旭地区に至る延長5.6km間に、山中工区(L=3.1km)・幌満工区(L=1.1km)・旭工区(L=1.4km)の3工区を設け、幌満工区には幌満トンネルが新設された。