「無名 (清水町)」の版間の差分
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道路は1917(大正6)年に開通し鹿追と新得の間の交通を切り開いた。美蔓台地に上り下りする坂は難工事になって多くの土工夫が犠牲になったといわれる。この道路は地方費道新得士幌線を経て北海道道本別新得線になり、旧道となった現在は清水町道上熊牛幌内間道路に降格になってなお車道として現役である。 | 道路は1917(大正6)年に開通し鹿追と新得の間の交通を切り開いた。美蔓台地に上り下りする坂は難工事になって多くの土工夫が犠牲になったといわれる。この道路は地方費道新得士幌線を経て北海道道本別新得線になり、旧道となった現在は清水町道上熊牛幌内間道路に降格になってなお車道として現役である。 | ||
鉄道廃止と同時期の1969(昭和44)頃、屈足 - | 鉄道廃止と同時期の1969(昭和44)頃、屈足 - 鹿追間の道路が新道に切り替わり、旧道落ちとなった無名トンネルであったが、1972(昭和47)年から1977(昭和52)年の間に旧道はトンネルを避けて通りるように切り替えられ、トンネルは役目を終えた。現在無名トンネル前後の築堤は崩されて林の中にポツンとトンネルだけが残されている。 | ||
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ファイル:20240223090704DSC 0007.jpg|鹿追方坑口と現道 | |||
ファイル:20240223090758DSC 0009.jpg|屈足方坑口 | |||
ファイル:20240223090828DSC 0012.jpg|屈足方坑口 | |||
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2024年4月23日 (火) 13:56時点における最新版
無名
北海道 トンネルwiki ID:781247 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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無名トンネルは鹿追町市街と新得町屈足の間を結ぶ道路にあったトンネル。『道路現況調書』では「無名隧道」という名称で掲載されているが、『道路トンネル大鑑』では「K跨道橋」という名称になっている。鉄道の築堤を道路が貫く立体交差のトンネルであるので、道路から見ればトンネル、鉄道から見れば跨道橋という表現が出来よう。
屈足は十勝川沿いに、鹿追町市街は隣の然別川沿いに拓けた街で、両者の間は美蔓台地という丘陵地が分断している。美蔓台地屈足側の鉄道では段丘崖の勾配を緩和する築堤を設けており、ここに同じく段丘崖を越えんとする道路が交わり立体交差ができている。鉄道はさらに上り続け熊牛トンネルを越え段丘面へ至る。道路は沢地形を詰め同じ段丘面に達する。
立体交差の上を通る鉄道は北海道拓殖鉄道という私鉄線で、新得駅 - 上士幌駅間54.3kmを結んでいた。無名トンネル付近を含む区間は1928(昭和3)年12月15日に開業し、1931(昭和6)年11月15日に全線が開通した後1949(昭和24)年9月1日から段階的な廃止が始まり、無名トンネル付近は最後となる1968(昭和43)年7月10日に休止となった。
道路は1917(大正6)年に開通し鹿追と新得の間の交通を切り開いた。美蔓台地に上り下りする坂は難工事になって多くの土工夫が犠牲になったといわれる。この道路は地方費道新得士幌線を経て北海道道本別新得線になり、旧道となった現在は清水町道上熊牛幌内間道路に降格になってなお車道として現役である。
鉄道廃止と同時期の1969(昭和44)頃、屈足 - 鹿追間の道路が新道に切り替わり、旧道落ちとなった無名トンネルであったが、1972(昭和47)年から1977(昭和52)年の間に旧道はトンネルを避けて通りるように切り替えられ、トンネルは役目を終えた。現在無名トンネル前後の築堤は崩されて林の中にポツンとトンネルだけが残されている。