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'''中山峠'''(同名の峠があるため'''渡島中山峠''' | '''中山峠'''(同名の峠があるため'''渡島中山峠'''とも呼ばれる)は函館と道南江差を結ぶ国道227号のほぼ中間にあたる北斗市と厚沢部町の境界にある峠である。峠の頂上には3世代のトンネルがある。 | ||
== 山道時代 == | == 山道時代 == | ||
中山峠の初めての道は6代目鈴鹿甚右衛門によって開かれた。鈴鹿家は江差に続く商家で代々甚右衛門を襲名しその6代目が山道を開削した。6代目甚右衛門は他にも長坂庄兵衛と組み太田山道・狩場山道を開削している。この2山道の開削ののち1858(安政5)年に半年間の工事を経てここ中山峠に山道を築き上げた。山道時代の中山峠は地名をとって'''厚沢部越'''・'''芦沢部越'''・'''大野越'''・'''鶉山道'''または開削者の名前から'''鈴鹿山道'''などと呼ばれた。山道は函館 - 江差を結ぶ重要な道であったから大小の改修を重ね冬季にも使われ続けた。 | 中山峠の初めての道は6代目鈴鹿甚右衛門によって開かれた。鈴鹿家は江差に続く商家で代々甚右衛門を襲名しその6代目が山道を開削した。6代目甚右衛門は他にも長坂庄兵衛と組み太田山道・狩場山道を開削している。この2山道の開削ののち1858(安政5)年に半年間の工事を経てここ中山峠に山道を築き上げた。山道時代の中山峠は地名をとって'''江差山道'''・'''厚沢部越'''・'''芦沢部越'''・'''大野越'''・'''鶉山道'''または開削者の名前から'''鈴鹿山道'''などと呼ばれた。山道は函館 - 江差を結ぶ重要な道であったから大小の改修を重ね冬季にも使われ続けた。 | ||
<BR clear="all"> | <BR clear="all"> | ||
== 1代目 == | == 1代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = なかやま | ||
|名称 | |名称 = 中山 | ||
|画像 | |TID = 656656 | ||
|画像説明 | |画像 = 20120429145436DSC_0388.JPG | ||
|振興局 | |画像説明 = 北斗方坑口 | ||
| | |地図 = | ||
|20万図名 | |振興局 = {{渡島}}{{檜山}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 北斗市中山 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |起点北緯 = 41.947737 | ||
|用途 | |起点東経 = 140.459878 | ||
|路線名 | |終点住所 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|管理者 | |終点北緯 = 41.948308 | ||
|施工者 | |終点東経 = 140.458151 | ||
|設計者 | |20万図名 = 函館 | ||
|工事費 | |5万図名 = 館 | ||
|着工 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|竣工 | |用途 = 道路 | ||
|開通 | |路線名 = {{地方費道1号札幌江差線}}(-1953)<BR>{{2級国道227号函館江差線}}(1953-1965)<BR>{{一般国道227号}}(1965-) | ||
|閉鎖 | |管理者 = | ||
|現況 | |施工者 = | ||
| | |設計者 = | ||
|総幅員 | |工事費 = 10万余円 | ||
| | |着工 = 1923(大正12)年5月 | ||
| | |竣工 = 1924(大正13)年6月 | ||
|掘削工法 | |開通 = | ||
|覆工 | |閉鎖 = | ||
|舗装 | |現況 = {{廃止}}<BR>起点側坑口柵による閉鎖<BR>終点側坑口崩落 | ||
|照明 | |延長 = 115.60m | ||
| | |内空断面画像 = 道路 | ||
| | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 = 5.50m | |||
|車道幅員 = 4.5m | |||
|中央高 = 4.60m | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = 4.0m | |||
|電化/非電化 = | |||
|軌道数 = | |||
|軌間 = | |||
|起点坑門型式 = 面壁 | |||
|終点坑門型式 = 面壁 | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = 側壁:間知石<BR>アーチ:レンガ | |||
|舗装 = 未舗装 | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。 | 山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。 | ||
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== 2代目 == | == 2代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = なかやま | ||
|名称 | |名称 = 中山 | ||
|画像 | |TID = 393611 | ||
|画像説明 | |画像 = 20230411132702DSC 0009.jpg | ||
|振興局 | |画像説明 = 厚沢部方坑口 | ||
| | |地図 = | ||
|20万図名 | |振興局 = {{渡島}}{{檜山}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 北斗市中山 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |起点北緯 = 41.946832 | ||
|用途 | |起点東経 = 140.462050 | ||
|路線名 | |終点住所 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|管理者 | |終点北緯 = 41.950251 | ||
|施工者 | |終点東経 = 140.456622 | ||
|設計者 | |20万図名 = 函館 | ||
|工事費 | |5万図名 = 館 | ||
|着工 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|竣工 | |用途 = 道路 | ||
|開通 | |路線名 = {{一般国道227号}} | ||
|閉鎖 | |管理者 = 函館開発建設部江差道路事務所 | ||
|現況 | |施工者 = 松本・工藤・高木共同企業体(1962)<BR>松本・道南共同企業体(1963-) | ||
| | |設計者 = 函館開発建設部 | ||
|総幅員 | |工事費 = 2億9100万円 | ||
| | |着工 = 1962(昭和37)年12月中旬 | ||
| | |竣工 = 1966(昭和41)年3月 | ||
|掘削工法 | |開通 = | ||
|覆工 | |閉鎖 = 2023(令和5)年12月6日6:00 | ||
|舗装 | |現況 = {{現役}} | ||
|照明 | |延長 = 579.8m+スノーシェッド160.0m | ||
| | |内空断面画像 = 道路 | ||
| | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 = 7.0m | |||
|車道幅員 = 6.5m | |||
|中央高 = | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = 4.5m | |||
|電化/非電化 = | |||
|軌道数 = | |||
|軌間 = | |||
|起点坑門型式 = ルーバー | |||
|終点坑門型式 = 面壁 | |||
|掘削工法 = {{矢板}} | |||
|覆工 = Co T=50cm | |||
|舗装 = Co・As | |||
|照明 = ナトリウム×236 | |||
|換気 = 自然 | |||
|排水 = サイドドレーン | |||
|トンネル等級 = {{等級C}} | |||
|非常用設備 = 有り | |||
|注釈 = 1998(平成10)年照明改修 | |||
}} | }} | ||
1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。 | 1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。 | ||
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== 3代目 == | == 3代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = なかやま | ||
|名称 | |名称 = 中山 | ||
|画像 | |TID = 245378 | ||
|画像説明 | |画像 = 20240824125558DSC_0201.jpg | ||
|振興局 | |画像説明 = 北斗方坑口 | ||
| | |地図 = | ||
|20万図名 | |振興局 = {{渡島}}{{檜山}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 北斗市中山 | ||
|2.5万図名 = 設計山 | |起点北緯 = 41.945291 | ||
|用途 | |起点東経 = 140.463928 | ||
|路線名 | |終点住所 = 檜山郡厚沢部町木間内 | ||
|管理者 | |終点北緯 = 41.949295 | ||
|施工者 | |終点東経 = 140.456552 | ||
|設計者 | |20万図名 = 函館 | ||
|工事費 | |5万図名 = 館 | ||
|着工 | |2.5万図名 = 設計山 | ||
|竣工 | |用途 = 道路 | ||
|開通 | |路線名 = {{一般国道227号}} | ||
|閉鎖 | |管理者 = 函館開発建設部江差道路事務所 | ||
|現況 | |施工者 = 松本・森川特定建設工事共同企業体 | ||
| | |設計者 = | ||
|総幅員 | |工事費 = | ||
| | |着工 = 2021(令和3)年2月5日 | ||
| | |竣工 = 2023(令和5)年1月31日 | ||
|掘削工法 | |開通 = 2023(令和5)年11月8日6:00(下り線開通)<BR>2023(令和5)年12月6日6:00(全面開通) | ||
|覆工 | |閉鎖 = | ||
|舗装 | |現況 = {{現役}} | ||
|照明 | |延長 = 781.00m | ||
| | |内空断面画像 = 道路 | ||
| | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 = 9.0m | |||
|車道幅員 = 6.5m | |||
|中央高 = 7.266m | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = | |||
|電化/非電化 = | |||
|軌道数 = | |||
|軌間 = | |||
|起点坑門型式 = | |||
|終点坑門型式 = | |||
|掘削工法 = {{NATM}}<BR>上半先進ベンチカット | |||
|覆工 = Co | |||
|舗装 = Co | |||
|照明 = LED | |||
|換気 = 自然 | |||
|排水 = センタードレーン | |||
|トンネル等級 = {{等級C}} | |||
|非常用設備 = 有り | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
2代目トンネルが老朽化し、また防災の面からも必要が生じ3代目が計画された。2013(平成25)年に渡島中山防災事業として事業化し、トンネルとその前後1.4kmを整備した。トンネルは2021(令和3)年6月終点側(厚沢部方)から片押しで掘進を開始し、2022(令和4)年6月23日に貫通、7月12日には坑内で貫通式が催された。2023(令和5)年11月8日6:00に2代目と3代目で上下線を分かつセパレート交通を開始、12月6日6:00に3代目は全面開通し、2代目は即日通行止めとなった。2024(令和6)年1月31日までの工期で付帯工事を行っている。 | |||
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== ギャラリー == | |||
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ファイル:20120429134222DSC 0338.jpg|1代目(TID656656)扁額 | |||
ファイル:20120429145658DSC 0397.jpg|1代目(TID656656)坑内 | |||
ファイル:20120429145924DSC 0400.jpg|1代目(TID656656)北斗方坑口 | |||
ファイル:20120429134114DSC 0335.jpg|1代目(TID656656)厚沢部方坑口 | |||
ファイル:20230411132834DSC 0013.jpg|2代目(TID393611)扁額 | |||
ファイル:20230411132844DSC 0015.jpg|2代目(TID393611)銘鈑 | |||
ファイル:20230411132840DSC 0014.jpg|2代目(TID393611)坑内 | |||
ファイル:20230411133220DSC 0019.jpg|2代目(TID393611)北斗方坑口 | |||
ファイル:20230411133224DSC 0020.jpg|2代目(TID393611)北斗方坑口 | |||
ファイル:20230411132608DSC 0003.jpg|2代目(TID393611)厚沢部方坑口 | |||
ファイル:20230411132640DSC 0005.jpg|2代目(TID393611・左)と3代目(TID245378)厚沢部方坑口 | |||
ファイル:20240824125500DSC_0196.jpg|3代目(TID245378)銘板 | |||
ファイル:20240824125506DSC_0197.jpg|3代目(TID245378)銘板 | |||
ファイル:20230411132650DSC 0007.jpg|建設工事中の3代目(TID245378)厚沢部方坑口 | |||
</gallery> | |||
{{デフォルトソート:おしまなかやま}} | {{デフォルトソート:おしまなかやま}} | ||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|781]] | |||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル| | [[カテゴリ:2023年開通]] | ||
[[カテゴリ: | |||
[[カテゴリ:1966年開通]] | [[カテゴリ:1966年開通]] | ||
[[カテゴリ:1924年開通]] | [[カテゴリ:1924年開通]] | ||
[[カテゴリ:2023年廃止]] |
2024年12月3日 (火) 15:48時点における最新版
中山峠(同名の峠があるため渡島中山峠とも呼ばれる)は函館と道南江差を結ぶ国道227号のほぼ中間にあたる北斗市と厚沢部町の境界にある峠である。峠の頂上には3世代のトンネルがある。
山道時代
中山峠の初めての道は6代目鈴鹿甚右衛門によって開かれた。鈴鹿家は江差に続く商家で代々甚右衛門を襲名しその6代目が山道を開削した。6代目甚右衛門は他にも長坂庄兵衛と組み太田山道・狩場山道を開削している。この2山道の開削ののち1858(安政5)年に半年間の工事を経てここ中山峠に山道を築き上げた。山道時代の中山峠は地名をとって江差山道・厚沢部越・芦沢部越・大野越・鶉山道または開削者の名前から鈴鹿山道などと呼ばれた。山道は函館 - 江差を結ぶ重要な道であったから大小の改修を重ね冬季にも使われ続けた。
1代目
なかやま
中山
北海道 トンネルwiki ID:656656 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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山道の峠は勾配が急であったため乗合馬車や自動車は一旦客を下車させて峠を越えていた。この状況を打開しようと距離を伸ばして勾配を緩やかにせしめようとするのは誰もが思うごく自然なアイディアであった。しかし当時の厚沢部村村長佐野勇松は赴任当初から山道の改修に関心を示し、トンネル化を強く推した人物であった。はじめは話を聞く誰もが夢物語と一蹴するこの構想も、わずか3か年の佐野の在任期間中には有力な案となり、1923(大正12)年5月にはついに起工にこぎつけた。佐野は1924(大正13)年4月乙部へ転任したため完成を見ることはなかったが、トンネルは同年6月に竣工した。
2代目
なかやま
中山
北海道 トンネルwiki ID:393611 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1代目のトンネル開通によって最大の難所は改善されたがそれ以降も中山峠は依然として険路であることに変わりはなかった。特に第2次世界大戦中は最低限の補修さえままならずむしろ危険が増していたため、中山峠は国道に昇格され1958(昭和33)年より改修に着手した。トンネルは1962(昭和37)年12月着工、1966(昭和41)年3月竣工。
3代目
なかやま
中山
北海道 トンネルwiki ID:245378 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2代目トンネルが老朽化し、また防災の面からも必要が生じ3代目が計画された。2013(平成25)年に渡島中山防災事業として事業化し、トンネルとその前後1.4kmを整備した。トンネルは2021(令和3)年6月終点側(厚沢部方)から片押しで掘進を開始し、2022(令和4)年6月23日に貫通、7月12日には坑内で貫通式が催された。2023(令和5)年11月8日6:00に2代目と3代目で上下線を分かつセパレート交通を開始、12月6日6:00に3代目は全面開通し、2代目は即日通行止めとなった。2024(令和6)年1月31日までの工期で付帯工事を行っている。