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'''幌満トンネル'''は様似町の日高耶馬渓付近から幌満川河口に至る道路トンネルである。蝦夷地の道路開削としてはごく初期のものになる様似山道を始祖とする海岸道路にあるトンネル。山道が放棄されてから使われた素掘りのトンネル2本も幌満川河口付近に並んで開口している。 | |||
== トンネル誕生前 == | |||
ここの道の歴史は幕府が東蝦夷地を直轄地とした1799(寛政11)年に始まる。それまでの蝦夷地で道といえば獣道や踏み分け道が当たり前で、それすら無いことも普通であった。この頃ロシアは不凍港を求めて北蝦夷地や千島といった北方地域に度々船を送り、蝦夷地にあっても手中に収めんとすべく動き始めていた。このロシアの圧力から東蝦夷地を防衛するにはあまりに交通が不便であり、特に陸上交通に至っては実用的な道は全く存在しないに等しく、一旦海が時化て船が止まれば何日も交通が途絶する状態であった。そのような窮状を憂いた幕府は、東蝦夷地を直轄地とするやいなや、まず特に難所となるシャマニ(様似)とサルゝ(猿留)の道路開削を始めた。大河内政壽が総督となり中村小市郎がシャマニを、最上徳内がサルゝの工事をそれぞれ担当した。1799(寛政11)年シャマニに完成した道は'''様似山道'''と呼ばれ馬がようやく通ずる程度に仕上がったが、それでもこの道は海が荒れている時にのみ使われる迂回路のような存在でありまだ交通の主役というわけではなかった。この山道は修繕を繰り返しつつ使われた。 | |||
== 1代目 == | == 1代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = ほろまん | ||
|名称 | |名称 = 幌満 | ||
|TID | |TID = 861239 | ||
|画像 | |画像 = 20110503141624DSC_0280.jpg | ||
|画像説明 | |画像説明 = えりも方坑口 | ||
|地図 | |地図 = | ||
|振興局 | |振興局 = {{日高}} | ||
|起点住所 | |起点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|起点北緯 | |起点北緯 = 42.075585 | ||
|起点東経 | |起点東経 = 143.032260 | ||
|終点住所 | |終点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|終点北緯 | |終点北緯 = 42.075683 | ||
|終点東経 | |終点東経 = 143.032273 | ||
|20万図名 | |20万図名 = 広尾 | ||
|5万図名 | |5万図名 = えりも | ||
|2.5万図名 | |2.5万図名 = 幌満 | ||
|用途 | |用途 = 道路 | ||
|路線名 | |路線名 = {{明治国道43号}}(-1907)<BR>{{仮定県道南海岸線}}(1907-1920)<BR>{{地方費道7号帯広浦河線}}(1920-) | ||
|管理者 | |管理者 = | ||
|施工者 | |施工者 =田中五作 | ||
|設計者 | |設計者 = | ||
|工事費 | |工事費 = | ||
|着工 | |着工 = | ||
|竣工 | |竣工 = | ||
|開通 | |開通 = | ||
|閉鎖 | |閉鎖 = | ||
|現況 | |現況 = {{廃止}}、開口 | ||
|延長 | |延長 = | ||
|内空断面画像 = 人道 | |内空断面画像 = 人道 | ||
|内空断面画像2= | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 | |総幅員 = | ||
|車道幅員 | |車道幅員 = | ||
|中央高 | |中央高 = | ||
|有効高 | |有効高 = | ||
|建築限界高 = | |建築限界高 = | ||
|電化/非電化 = | |電化/非電化 = | ||
|軌道数 | |軌道数 = | ||
|軌間 | |軌間 = | ||
|起点坑門型式 = | |起点坑門型式 = | ||
|終点坑門型式 = | |終点坑門型式 = | ||
|掘削工法 | |掘削工法 = | ||
|覆工 | |覆工 = 素掘り | ||
|舗装 | |舗装 = | ||
|照明 | |照明 = | ||
|換気 | |換気 = | ||
|排水 | |排水 = | ||
|トンネル等級 = | |トンネル等級 = | ||
|非常用設備 = | |非常用設備 = | ||
|注釈 | |注釈 = | ||
}} | }} | ||
1886(明治19)年北海道庁の発足と共に各所の道路整備が進められ、猿留山道下の海岸道路整備が一段落した1891(明治24)年から様似山道下の海岸道路も着工した。数箇所では矢来を組んで中に石を詰め、海へ突き出た岩は発破で除去するかトンネルを穿った。トンネル工事は浦川村ウロコベツ(現在の浦河町常盤町)の石工である田中五作が請け負い、全部で11のトンネルが完成した。幌満川河口に位置するこのトンネルもその一つである。これによって完成した海岸道路はまだ馬車こそ通れなかったものの従来の様似山道に代わり人馬の通行を支えた。 | |||
<BR clear="all"> | <BR clear="all"> | ||
== 2代目 == | == 2代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = めなしとまりだいごごう | ||
|名称 | |名称 = 目無泊第5号 | ||
|TID | |TID = 464616 | ||
|画像 | |画像 = 20110503135324DSC 0250.JPG | ||
|画像説明 | |画像説明 = 開削された跡地 | ||
|地図 | |地図 = | ||
|振興局 | |振興局 = {{日高}} | ||
|起点住所 | |起点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|起点北緯 | |起点北緯 = 42.077680 | ||
|起点東経 | |起点東経 = 143.025051 | ||
|終点住所 | |終点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|終点北緯 | |終点北緯 = 42.077644 | ||
|終点東経 | |終点東経 = 143.025218 | ||
|20万図名 | |20万図名 = 広尾 | ||
|5万図名 | |5万図名 = えりも | ||
|2.5万図名 | |2.5万図名 = 幌満 | ||
|用途 | |用途 = 道路 | ||
|路線名 | |路線名 = {{地方費道7号帯広浦河線}}(-1954)<BR>{{2級国道236号帯広浦河線}}(1953-) | ||
|管理者 | |管理者 = | ||
|施工者 | |施工者 = | ||
|設計者 | |設計者 = | ||
|工事費 | |工事費 = | ||
|着工 | |着工 = | ||
|竣工 | |竣工 = 1923(大正12)年 | ||
|開通 | |開通 = | ||
|閉鎖 | |閉鎖 = | ||
|現況 | |現況 = {{廃止}}<BR>開削 | ||
|延長 | |延長 = 13.00m | ||
|内空断面画像 = 道路 | |内空断面画像 = 道路 | ||
|内空断面画像2= | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 | |総幅員 = 3.60m | ||
|車道幅員 | |車道幅員 = | ||
|中央高 | |中央高 = | ||
|有効高 | |有効高 = 3.60m | ||
|建築限界高 = | |建築限界高 = | ||
|電化/非電化 = | |電化/非電化 = | ||
|軌道数 | |軌道数 = | ||
|軌間 | |軌間 = | ||
|起点坑門型式 = | |起点坑門型式 = | ||
|終点坑門型式 = | |終点坑門型式 = | ||
|掘削工法 | |掘削工法 = | ||
|覆工 | |覆工 = 素掘り | ||
|舗装 | |舗装 = 未舗装 | ||
|照明 | |照明 = | ||
|換気 | |換気 = | ||
|排水 | |排水 = | ||
|トンネル等級 = | |トンネル等級 = | ||
|非常用設備 = | |非常用設備 = | ||
|注釈 | |注釈 = | ||
}} | }} | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = ほろまん(めなしとまりだいろくごう) | ||
|名称 | |名称 = 幌満(目無泊第6号) | ||
|TID | |TID = 749691 | ||
|画像 | |画像 = 20110503141628DSC_0281.jpg | ||
|画像説明 | |画像説明 = えりも方坑口 | ||
|地図 | |地図 = | ||
|振興局 | |振興局 = {{日高}} | ||
|起点住所 | |起点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|起点北緯 | |起点北緯 = 42.075536 | ||
|起点東経 | |起点東経 = 143.032093 | ||
|終点住所 | |終点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|終点北緯 | |終点北緯 = 42.075725 | ||
|終点東経 | |終点東経 = 143.032224 | ||
|20万図名 | |20万図名 = 広尾 | ||
|5万図名 | |5万図名 = えりも | ||
|2.5万図名 | |2.5万図名 = 幌満 | ||
|用途 | |用途 = 道路 | ||
|路線名 | |路線名 = {{地方費道7号帯広浦河線}}(-1954)<BR>{{2級国道236号帯広浦河線}}(1953-) | ||
|管理者 | |管理者 = | ||
|施工者 | |施工者 = | ||
|設計者 | |設計者 = | ||
|工事費 | |工事費 = | ||
|着工 | |着工 = | ||
|竣工 | |竣工 = 1923(大正12)年 | ||
|開通 | |開通 = | ||
|閉鎖 | |閉鎖 = | ||
|現況 | |現況 = {{廃止}}<BR>浦河方埋没<BR>えりも方開口 | ||
|延長 | |延長 = 30.00m | ||
|内空断面画像 = 道路 | |内空断面画像 = 道路 | ||
|内空断面画像2= | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 | |総幅員 = 3.50m | ||
|車道幅員 | |車道幅員 = | ||
|中央高 | |中央高 = | ||
|有効高 | |有効高 = 3.50m | ||
|建築限界高 = | |建築限界高 = | ||
|電化/非電化 = | |電化/非電化 = | ||
|軌道数 | |軌道数 = | ||
|軌間 | |軌間 = | ||
|起点坑門型式 = | |起点坑門型式 = | ||
|終点坑門型式 = | |終点坑門型式 = | ||
|掘削工法 | |掘削工法 = | ||
|覆工 | |覆工 = 素掘り<BR>浦河方3mCo巻立 | ||
|舗装 | |舗装 = 未舗装 | ||
|照明 | |照明 = | ||
|換気 | |換気 = | ||
|排水 | |排水 = | ||
|トンネル等級 = | |トンネル等級 = | ||
|非常用設備 = | |非常用設備 = | ||
|注釈 | |注釈 = | ||
}} | }} | ||
1920(大正9)年、道路構造令が成立し、道路の基本的な規格が定められた。地形の険しさからこれを満たさない箇所が多かった日高耶馬渓の道路は改修を余儀なくされ、1926(大正15)年に鵜苫川から東方向に改修を始め、1927(昭和2)年には様似山道下の冬島から幌満の海岸道路も馬車も通ずる道となった。この修築は天然石とコンクリートを巧みに利用したと伝えられる。この時築造された護岸擁壁は目無泊6号トンネルの坑口前に現存する。トンネルは合計6本掘られ、幌満トンネル旧道には'''目無泊第5号'''と'''目無泊第6号'''の2本があった。1958(昭和33)年道路構造令が改正され、戦時中手入れが不足した道路の荒廃を是正し、新たな時代に向けて更なる改良が全国で行われていった。その中で1959(昭和34)年から1964(昭和39)年の間に目無泊第5号はオープンカット、目無泊第6号は'''幌満トンネル'''に改称した。1967(昭和42)年には幌満川河口に架かる幌満橋架け替えのためのルート変更があり目無泊第6号は廃止となった。目無泊第6号は幌満川河口付近に今も先代の幌満トンネル(TID861239)と並んで開口している。 | |||
<BR clear="all"> | <BR clear="all"> | ||
== 3代目 == | == 3代目 == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = ほろまん | ||
|名称 | |名称 = 幌満 | ||
|TID | |TID = 184961 | ||
|画像 | |画像 = 20230612083858DSC_0036.jpg | ||
|画像説明 | |画像説明 = えりも方坑口 | ||
|地図 | |地図 = | ||
|振興局 | |振興局 = {{日高}} | ||
|起点住所 | |起点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|起点北緯 | |起点北緯 = 42.078584 | ||
|起点東経 | |起点東経 = 143.023340 | ||
|終点住所 | |終点住所 = 様似郡様似町字幌満 | ||
|終点北緯 | |終点北緯 = 42.077063 | ||
|終点東経 | |終点東経 = 143.032411 | ||
|20万図名 | |20万図名 = 広尾 | ||
|5万図名 | |5万図名 = えりも | ||
|2.5万図名 | |2.5万図名 = 幌満 | ||
|用途 | |用途 = 道路 | ||
|路線名 | |路線名 = {{一般国道336号}} | ||
|管理者 | |管理者 = 室蘭開発建設部浦河道路事務所 | ||
|施工者 | |施工者 =前田・菱中・奥村特定建設工事共同企業体 | ||
|設計者 | |設計者 = | ||
|工事費 | |工事費 = | ||
|着工 | |着工 = | ||
|竣工 | |竣工 = 1996(平成8)年2月 | ||
|開通 | |開通 = | ||
|閉鎖 | |閉鎖 = | ||
|現況 | |現況 = {{現役}} | ||
|延長 | |延長 = 783m | ||
|内空断面画像 = 道路 | |内空断面画像 = 道路 | ||
|内空断面画像2= | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 | |総幅員 = 10.25m | ||
|車道幅員 | |車道幅員 = 6.5m | ||
|中央高 | |中央高 = | ||
|有効高 | |有効高 = | ||
|建築限界高 = 4.7m | |建築限界高 = 4.7m | ||
|電化/非電化 = | |電化/非電化 = | ||
|軌道数 | |軌道数 = | ||
|軌間 | |軌間 = | ||
|起点坑門型式 = | |起点坑門型式 = | ||
|終点坑門型式 = | |終点坑門型式 = | ||
|掘削工法 | |掘削工法 = {{NATM}} | ||
|覆工 | |覆工 = Co | ||
|舗装 | |舗装 = Co | ||
|照明 | |照明 = LED | ||
|換気 | |換気 = | ||
|排水 | |排水 = | ||
|トンネル等級 = {{等級C}} | |トンネル等級 = {{等級C}} | ||
|非常用設備 = 有り | |非常用設備 = 有り | ||
|注釈 | |注釈 = | ||
}} | }} | ||
目無泊第6号が廃止されてから幌満川河口地域に道路トンネルは無くなったが、日高耶馬渓の崖下を通る本道路は落石が多かったため、この危険を取り除き多くの急カーブも解消する'''一般国道336号幌満防災'''が1988(昭和63)年事業化した。[[東冬島]]トンネル付近から日高耶馬渓・幌満川を越え旭地区に至る延長5.6km間に、山中工区(L=3.1km)・幌満工区(L=1.1km)・旭工区(L=1.4km)の3工区を設け、幌満工区には'''幌満トンネル'''が新設された。 | |||
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== ギャラリー == | |||
<gallery> | |||
ファイル:20110503135044DSC_0243.jpg|日高耶馬渓の幌満トンネル旧道の海岸 | |||
ファイル:20110503141558DSC_0278.JPG|1代目(TID861239、左)と2代目(TID749691、右)は並んで開口している | |||
ファイル:20110503141150DSC_0273.jpg|1代目(TID861239)と2代目(TID749691)の遠景。手前には幌満川が流れ左の河口には旧道の幌満橋が架かっている。また右の川岸には2代目の時代の盛土と擁壁が見える。 | |||
ファイル:20110503141644DSC_0282.jpg|2代目(TID749691)えりも方のアプローチは洗堀を受け流された | |||
ファイル:20110503140732DSC_0271.jpg|1代目(TID861239)浦河方坑口 | |||
ファイル:20110503140548DSC_0268.jpg|2代目(TID749691)浦河方坑口付近は盛土で埋没している。右奥に見えるのは旧道幌満橋。 | |||
ファイル:20110503140800DSC_0272.jpg|2代目(TID749691)えりも方坑口前には旧旧幌満橋まで盛土と擁壁が続いていたようだ | |||
ファイル:20110503140642DSC_0269.jpg|2代目(TID749691)浦河方坑口 | |||
ファイル:20110503134956DSC_0240.jpg|2代目(TID464616)はオープンカット後に斜面崩落も起こって当時の様子は偲べない | |||
ファイル:20110503080400DSC_0002.JPG|3代目(TID184961)えりも方坑口、旧道の幌満橋から | |||
ファイル:20230612083904DSC_0037.jpg|3代目(TID184961)えりも方坑口 | |||
ファイル:20230612094352DSC_0080.jpg|3代目(TID184961)えりも方坑口 | |||
ファイル:20230612084754DSC_0041.jpg|3代目(TID184961)浦河方坑口 | |||
ファイル:20230612084450DSC_0040.jpg|3代目(TID184961)坑内 | |||
ファイル:20230612084020DSC_0038.jpg|3代目(TID184961)工事銘板 | |||
ファイル:20110503131432DSC_0221.jpg|3代目(TID184961)と旧道の分岐 | |||
ファイル:20230612093742DSC_0077.jpg|幌満防災事業以降、日高耶馬渓の国道は多くがトンネルか覆道に隠れた | |||
</gallery> | |||
{{デフォルトソート:ほろまん}} | {{デフォルトソート:ほろまん}} | ||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|783]] | [[カテゴリ:1000m未満のトンネル|783]] | ||
[[カテゴリ:100m未満のトンネル|30]] |
2023年10月15日 (日) 20:25時点における版
幌満トンネルは様似町の日高耶馬渓付近から幌満川河口に至る道路トンネルである。蝦夷地の道路開削としてはごく初期のものになる様似山道を始祖とする海岸道路にあるトンネル。山道が放棄されてから使われた素掘りのトンネル2本も幌満川河口付近に並んで開口している。
トンネル誕生前
ここの道の歴史は幕府が東蝦夷地を直轄地とした1799(寛政11)年に始まる。それまでの蝦夷地で道といえば獣道や踏み分け道が当たり前で、それすら無いことも普通であった。この頃ロシアは不凍港を求めて北蝦夷地や千島といった北方地域に度々船を送り、蝦夷地にあっても手中に収めんとすべく動き始めていた。このロシアの圧力から東蝦夷地を防衛するにはあまりに交通が不便であり、特に陸上交通に至っては実用的な道は全く存在しないに等しく、一旦海が時化て船が止まれば何日も交通が途絶する状態であった。そのような窮状を憂いた幕府は、東蝦夷地を直轄地とするやいなや、まず特に難所となるシャマニ(様似)とサルゝ(猿留)の道路開削を始めた。大河内政壽が総督となり中村小市郎がシャマニを、最上徳内がサルゝの工事をそれぞれ担当した。1799(寛政11)年シャマニに完成した道は様似山道と呼ばれ馬がようやく通ずる程度に仕上がったが、それでもこの道は海が荒れている時にのみ使われる迂回路のような存在でありまだ交通の主役というわけではなかった。この山道は修繕を繰り返しつつ使われた。
1代目
ほろまん
幌満
北海道 トンネルwiki ID:861239 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1886(明治19)年北海道庁の発足と共に各所の道路整備が進められ、猿留山道下の海岸道路整備が一段落した1891(明治24)年から様似山道下の海岸道路も着工した。数箇所では矢来を組んで中に石を詰め、海へ突き出た岩は発破で除去するかトンネルを穿った。トンネル工事は浦川村ウロコベツ(現在の浦河町常盤町)の石工である田中五作が請け負い、全部で11のトンネルが完成した。幌満川河口に位置するこのトンネルもその一つである。これによって完成した海岸道路はまだ馬車こそ通れなかったものの従来の様似山道に代わり人馬の通行を支えた。
2代目
めなしとまりだいごごう
目無泊第5号
北海道 トンネルwiki ID:464616 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ほろまん(めなしとまりだいろくごう)
幌満(目無泊第6号)
北海道 トンネルwiki ID:749691 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1920(大正9)年、道路構造令が成立し、道路の基本的な規格が定められた。地形の険しさからこれを満たさない箇所が多かった日高耶馬渓の道路は改修を余儀なくされ、1926(大正15)年に鵜苫川から東方向に改修を始め、1927(昭和2)年には様似山道下の冬島から幌満の海岸道路も馬車も通ずる道となった。この修築は天然石とコンクリートを巧みに利用したと伝えられる。この時築造された護岸擁壁は目無泊6号トンネルの坑口前に現存する。トンネルは合計6本掘られ、幌満トンネル旧道には目無泊第5号と目無泊第6号の2本があった。1958(昭和33)年道路構造令が改正され、戦時中手入れが不足した道路の荒廃を是正し、新たな時代に向けて更なる改良が全国で行われていった。その中で1959(昭和34)年から1964(昭和39)年の間に目無泊第5号はオープンカット、目無泊第6号は幌満トンネルに改称した。1967(昭和42)年には幌満川河口に架かる幌満橋架け替えのためのルート変更があり目無泊第6号は廃止となった。目無泊第6号は幌満川河口付近に今も先代の幌満トンネル(TID861239)と並んで開口している。
3代目
ほろまん
幌満
北海道 トンネルwiki ID:184961 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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目無泊第6号が廃止されてから幌満川河口地域に道路トンネルは無くなったが、日高耶馬渓の崖下を通る本道路は落石が多かったため、この危険を取り除き多くの急カーブも解消する一般国道336号幌満防災が1988(昭和63)年事業化した。東冬島トンネル付近から日高耶馬渓・幌満川を越え旭地区に至る延長5.6km間に、山中工区(L=3.1km)・幌満工区(L=1.1km)・旭工区(L=1.4km)の3工区を設け、幌満工区には幌満トンネルが新設された。