「あづほ」の版間の差分

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|覆工        = アーチ:60cm<BR>側壁:150cm(最大)<BR>インバート:50cm
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|舗装        = Co T=27.5cm
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|照明        = ナトリウム×141
|照明        = LED
|換気        = 自然
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当トンネルは厚真町と似湾(仁和)を結ぶ山地に所在し、旧来の峠道をバイパスするトンネルである。似湾峠の起こりは定かでないが古くからアイヌが利用し、松浦武四郎も通っている。1899(明治32)年に幅4間、延長1万余間の馬が通れる道路が建設され両地域間の交通に供した。これは1907(明治40)年馬車道に改良された。
当トンネルは厚真町と似湾(仁和)を結ぶ山地に所在し、旧来の峠道をバイパスするトンネルである。似湾峠の起こりは定かでないが古くからアイヌが利用し、松浦武四郎も通っている。1899(明治32)年に幅4間、延長1万余間の馬が通れる道路が建設され両地域間の交通に供した。これは1907(明治40)年馬車道に改良された。
 
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== ギャラリー ==
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ファイル:20190523151722DSC_0039.jpg|工事銘板
ファイル:20190523151736DSC_0040.jpg|扁額
ファイル:20190523151740DSC_0041.jpg|坑内
ファイル:20190523153112DSC_0055.jpg|東側(むかわ側)坑口
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2023年9月20日 (水) 19:23時点における最新版

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あづほ
あづほ

北海道 トンネルwiki ID:572584

西側(厚真側)坑口
西側(厚真側)坑口

基礎情報
振興局
Temp map iburi subpref.png 胆振
総合振興局
起点
住所 勇払郡厚真町字宇隆1番地
座標 42.679593,141.993570
終点
住所 勇払郡むかわ町穂別栄148番地
座標 42.678801,141.998394
図名
20万 5万 2.5万
札幌 早来 厚真
用途 道路
路線名 北海道道59号平取厚真線
施工者 石山・伊藤共同企業体
設計者 パシフィックコンサルタント
工事費 5億8400万円
着工 1978(昭和53)年10月
竣工 1980(昭和55)年7月
現況 現役
延長 411.0m

Temp cross section road.png
総幅員
=8.00m
車道幅員
=5.50m
中央高
=5.75m
有効高
=4.7m
建築限界高
=(N/A)
坑門
型式
起点 逆ベルマウス
終点 逆ベルマウス
掘削
工法
矢板
覆工 アーチ:60cm
側壁:150cm(最大)
インバート:50cm
舗装 Co T=27.5cm
照明 LED
換気 自然
排水 センタードレーン
等級
Temp tunnel class D.png
非常用
設備
無し


あづほトンネルは北海道道59号平取厚真線の厚真町とむかわ町(旧穂別町)に跨る似湾峠にあるトンネルである。

当トンネルは厚真町と似湾(仁和)を結ぶ山地に所在し、旧来の峠道をバイパスするトンネルである。似湾峠の起こりは定かでないが古くからアイヌが利用し、松浦武四郎も通っている。1899(明治32)年に幅4間、延長1万余間の馬が通れる道路が建設され両地域間の交通に供した。これは1907(明治40)年馬車道に改良された。

ギャラリー