「仏坂」の版間の差分
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'''仏坂トンネル'''は室蘭市にあるトンネル。室蘭市の絵鞆半島にある茶津岬の付け根、室蘭本線母恋駅 - 室蘭駅間に作られた。 | '''仏坂トンネル'''は室蘭市にあるトンネル。室蘭市の絵鞆半島にある茶津岬の付け根、室蘭本線母恋駅 - 室蘭駅間に作られた。 | ||
== トンネル開通以前 == | |||
室蘭本線の前身である北海道炭礦鉄道室蘭線は1892(明治25)年8月1日に岩見沢から室蘭駅(現在の東室蘭駅)が開通して始まった。幌内からの石炭をこれまでは小樽港から船に積み出し運炭していたが、元をたどるとお雇い外国人のホーレス・ケプロン (Horace Capron) は幌内から室蘭まで鉄道を敷き、より本州に近い室蘭港から積み出しを行うよう進言したが政府は鉄道敷設の費用から小樽港を選択した歴史がある。1886(明治19)年の北海道庁の設置を経て、1889(明治22)年官営事業だった幌内炭鉱・幌内鉄道を北海道炭礦鉄道に払い下げそれ以降空知炭田の開発のためようやく室蘭港まで鉄道が敷かれたのであった。このとき線路の終端はイトッケレップ(現在の室蘭市御崎町)にあり仏坂トンネルは存在していなかった。当時室蘭港は海軍鎮守府の設置が予定されていたためこれより先への工事が許されなかったのである。 | |||
仏坂に道路ができる以前、かろうじて歩行者は仏坂を通ることができたが、車馬は茶津の岬を周っていた([[名称不明 (茶津岬)]]を参照)。明治の初期、茶津の岬の付け根に道路が作られたが、この工事に従事し亡くなった者を付近に埋葬し塔婆を立てたのでこの付近を仏坂というようになった。 | 仏坂に道路ができる以前、かろうじて歩行者は仏坂を通ることができたが、車馬は茶津の岬を周っていた([[名称不明 (茶津岬)]]を参照)。明治の初期、茶津の岬の付け根に道路が作られたが、この工事に従事し亡くなった者を付近に埋葬し塔婆を立てたのでこの付近を仏坂というようになった。 | ||
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== 1代目(単線本線のち入替線) == | == 1代目(単線本線のち入替線) == | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = ほとけざか | ||
|名称 | |名称 = 仏坂 | ||
|画像 | |TID = 162246 | ||
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|20万図名 | |振興局 = {{胆振}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 室蘭市茶津町 | ||
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|設計者 | |20万図名 = 室蘭 | ||
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|掘削工法 | |開通 = 1897(明治30)年7月1日 | ||
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|舗装 | |現況 = {{廃止}}、改修して3代目へ | ||
|照明 | |延長 = 266m | ||
| | |内空断面画像 = 単線非電化 | ||
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|総幅員 = | |||
|車道幅員 = | |||
|中央高 = | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = | |||
|電化/非電化 = 非電化 | |||
|軌道数 = 単線 | |||
|軌間 = 1,067mm | |||
|起点坑門型式 = レンガ造 | |||
|終点坑門型式 = レンガ造 | |||
|掘削工法 = | |||
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|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
室蘭港が特別輸出港に指定されると鉄道延伸が許可され、鎮守府の計画は1903(明治36)年に立ち消えとなった。許可が下りたのは1895(明治28)年のことであるが海面を埋め立てこの仏坂トンネルを穿つ工事のためようやく開通にこぎつけたのは1897(明治30)年7月1日である。この区間の開通とともにかつての室蘭駅は輪西駅と改称され新たな室蘭駅が終点に据えられた。輪西駅は1928(昭和3)年東輪西駅に、1931(昭和6)年に東室蘭駅と名を改め現在に至る。一方室蘭駅は1997(平成9)年に移転し現在の室蘭駅が誕生したが、旧駅舎は今でも観光案内所として活用されている。1代目の仏坂トンネルは室蘭駅開業とともに開通した単線の鉄道トンネルである。隣に複線の2代目が開通して本線としての役割を終えた後は入れ替え線として活躍した。 | |||
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== 2代目(複線本線) == | == 2代目(複線本線) == | ||
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|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
1906(明治39)年10月1日室蘭線は国有化された。北海道炭礦鉄道から改められた北海道炭礦汽船は売却金を元手に輪西製鉄所・日本製鋼所を作り、室蘭を取り巻く鉄道貨物需要は更に増進していった。またそれまでの線は日本製鋼所の敷地を通っていた。そのため国鉄は室蘭線の複線化および付け替えに取り掛かりその第1歩目として室蘭駅 - 輪西駅間を1910(明治43)年12月27日に複線化し開業させた。仏坂トンネルは1代目の南隣に複線のトンネルを新設した。トンネル前の線路も大きく付け替え日本製鋼所の敷地の縁を回る今の線形になった。 | |||
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== 3代目(1代目を複線に) == | == 3代目(1代目を複線に) == | ||
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|注釈 = | |||
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当時の機関車は当然蒸気機関が使われていたが、単線の入替用トンネルは煤煙のため合図が見えづらく複線に改修された。後に石炭産業が斜陽になり苫小牧港の築港もあり室蘭港での石炭貨物取扱量が激減すといつしかこのトンネルは使われなくなった。 | |||
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== | == 4代目(2代目を拡幅・電化) == | ||
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|よみ | |よみ = ほとけざか | ||
|名称 | |名称 = 仏坂 | ||
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|画像説明 | |画像 = 20150708124328DSC_2957.jpg | ||
|振興局 | |画像説明 = 母恋駅方坑口 | ||
| | |地図 = | ||
|20万図名 | |振興局 = {{胆振}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 室蘭市茶津町 | ||
|2.5万図名 = 室蘭 | |起点北緯 = 42.317277 | ||
|用途 | |起点東経 = 140.984222 | ||
|路線名 | |終点住所 = 室蘭市入江町 | ||
|管理者 | |終点北緯 = 42.317260 | ||
|施工者 | |終点東経 = 140.980986 | ||
|設計者 | |20万図名 = 室蘭 | ||
|工事費 | |5万図名 = 室蘭 | ||
|着工 | |2.5万図名 = 室蘭 | ||
|竣工 | |用途 = 鉄道 | ||
|開通 | |路線名 = {{室蘭本線室蘭支線}} | ||
|閉鎖 | |管理者 = | ||
|現況 | |施工者 = 西松建設 | ||
| | |設計者 = | ||
|総幅員 | |工事費 = | ||
| | |着工 = 1979(昭和54)年8月1日 | ||
|坑門型式 | |竣工 = 1980(昭和55)年5月31日 | ||
|掘削工法 | |開通 = 1980(昭和55)年7月3日 | ||
|覆工 | |閉鎖 = | ||
|舗装 | |現況 = {{現役}} | ||
|照明 | |延長 = 269m | ||
| | |内空断面画像 = 複線電化 | ||
| | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 = | |||
|車道幅員 = | |||
|中央高 = | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = | |||
|電化/非電化 = 電化 | |||
|軌道数 = 複線 | |||
|軌間 = 1,067mm | |||
|坑門型式 = | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = | |||
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|換気 = | |||
|排水 = | |||
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|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
室蘭本線電化工事にあわせ2代目を改良することになった。1979(昭和54)年7月末(下り25日、上り25日)、3代目仏坂トンネルを仮線として開通させた。そして2代目仏坂トンネルの断面を拡大し4代目へと改修し、線路を7月上旬(上り3日、下り9日)に元に切り替えた。途中1979(昭和54)年11月27日に崩落事故が発生し1か月の遅れを生じたが後にこの遅れは取り戻し予定通りの竣工にこぎつけた。 | |||
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== ギャラリー == | |||
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20150708124408DSC 2958.JPG|4代目(TID918380)母恋駅方坑口。右隣の藪の中には3代目(TID313570)があるが時期によってはこのように全く見えない。 | |||
20210520165758DSC 0001.jpg|3代目(TID313570)室蘭駅方坑口。右に見切れているのは4代目(TID918380)。 | |||
20210520165804DSC_0002.jpg|4代目(TID918380)室蘭駅方坑口。左の藪の中には3代目(TID313570)がある。 | |||
20230308104024DSC_0033.jpg|3代目(TID313570、左)、4代目(TID918380、右)の室蘭駅方坑口。2本はすぐ隣に並行して開口している。 | |||
20230308104544DSC_0036.jpg|3代目(TID313570、右)、4代目(TID918380、左)の母恋駅方坑口。2本はこちらもすぐ隣に並行して開口している。 | |||
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{{デフォルトソート:ほとけさか}} | {{デフォルトソート:ほとけさか}} | ||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|266]] | [[カテゴリ:1000m未満のトンネル|266]] | ||
[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|269]] | [[カテゴリ:1000m未満のトンネル|269]] | ||
[[カテゴリ:1897年開通]] | [[カテゴリ:1897年開通]] | ||
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2023年4月4日 (火) 18:38時点における最新版
仏坂トンネルは室蘭市にあるトンネル。室蘭市の絵鞆半島にある茶津岬の付け根、室蘭本線母恋駅 - 室蘭駅間に作られた。
トンネル開通以前
室蘭本線の前身である北海道炭礦鉄道室蘭線は1892(明治25)年8月1日に岩見沢から室蘭駅(現在の東室蘭駅)が開通して始まった。幌内からの石炭をこれまでは小樽港から船に積み出し運炭していたが、元をたどるとお雇い外国人のホーレス・ケプロン (Horace Capron) は幌内から室蘭まで鉄道を敷き、より本州に近い室蘭港から積み出しを行うよう進言したが政府は鉄道敷設の費用から小樽港を選択した歴史がある。1886(明治19)年の北海道庁の設置を経て、1889(明治22)年官営事業だった幌内炭鉱・幌内鉄道を北海道炭礦鉄道に払い下げそれ以降空知炭田の開発のためようやく室蘭港まで鉄道が敷かれたのであった。このとき線路の終端はイトッケレップ(現在の室蘭市御崎町)にあり仏坂トンネルは存在していなかった。当時室蘭港は海軍鎮守府の設置が予定されていたためこれより先への工事が許されなかったのである。
仏坂に道路ができる以前、かろうじて歩行者は仏坂を通ることができたが、車馬は茶津の岬を周っていた(名称不明 (茶津岬)を参照)。明治の初期、茶津の岬の付け根に道路が作られたが、この工事に従事し亡くなった者を付近に埋葬し塔婆を立てたのでこの付近を仏坂というようになった。
1代目(単線本線のち入替線)
ほとけざか
仏坂
北海道 トンネルwiki ID:162246 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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室蘭港が特別輸出港に指定されると鉄道延伸が許可され、鎮守府の計画は1903(明治36)年に立ち消えとなった。許可が下りたのは1895(明治28)年のことであるが海面を埋め立てこの仏坂トンネルを穿つ工事のためようやく開通にこぎつけたのは1897(明治30)年7月1日である。この区間の開通とともにかつての室蘭駅は輪西駅と改称され新たな室蘭駅が終点に据えられた。輪西駅は1928(昭和3)年東輪西駅に、1931(昭和6)年に東室蘭駅と名を改め現在に至る。一方室蘭駅は1997(平成9)年に移転し現在の室蘭駅が誕生したが、旧駅舎は今でも観光案内所として活用されている。1代目の仏坂トンネルは室蘭駅開業とともに開通した単線の鉄道トンネルである。隣に複線の2代目が開通して本線としての役割を終えた後は入れ替え線として活躍した。
2代目(複線本線)
ほとけざか
仏坂
北海道 トンネルwiki ID:507259 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1906(明治39)年10月1日室蘭線は国有化された。北海道炭礦鉄道から改められた北海道炭礦汽船は売却金を元手に輪西製鉄所・日本製鋼所を作り、室蘭を取り巻く鉄道貨物需要は更に増進していった。またそれまでの線は日本製鋼所の敷地を通っていた。そのため国鉄は室蘭線の複線化および付け替えに取り掛かりその第1歩目として室蘭駅 - 輪西駅間を1910(明治43)年12月27日に複線化し開業させた。仏坂トンネルは1代目の南隣に複線のトンネルを新設した。トンネル前の線路も大きく付け替え日本製鋼所の敷地の縁を回る今の線形になった。
3代目(1代目を複線に)
ほとけざか
仏坂
北海道 トンネルwiki ID:313570 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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当時の機関車は当然蒸気機関が使われていたが、単線の入替用トンネルは煤煙のため合図が見えづらく複線に改修された。後に石炭産業が斜陽になり苫小牧港の築港もあり室蘭港での石炭貨物取扱量が激減すといつしかこのトンネルは使われなくなった。
4代目(2代目を拡幅・電化)
ほとけざか
仏坂
北海道 トンネルwiki ID:918380 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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室蘭本線電化工事にあわせ2代目を改良することになった。1979(昭和54)年7月末(下り25日、上り25日)、3代目仏坂トンネルを仮線として開通させた。そして2代目仏坂トンネルの断面を拡大し4代目へと改修し、線路を7月上旬(上り3日、下り9日)に元に切り替えた。途中1979(昭和54)年11月27日に崩落事故が発生し1か月の遅れを生じたが後にこの遅れは取り戻し予定通りの竣工にこぎつけた。