「真狩」の版間の差分
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Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) 編集の要約なし |
Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) (+ギャラリー、+地図) |
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|名称 = 真狩 | |名称 = 真狩 | ||
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|画像説明 = | |画像説明 = 函館方坑口 | ||
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|起点住所 = 虻田郡ニセコ町字有島 | |起点住所 = 虻田郡ニセコ町字有島 | ||
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|開通 = 1904(明治37)年10月15日 | |開通 = 1904(明治37)年10月15日 | ||
|閉鎖 = 1958(昭和33)年 | |閉鎖 = 1958(昭和33)年 | ||
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|延長 = 241.5m | |延長 = 241.5m | ||
|内空断面画像 = 単線非電化 | |内空断面画像 = 単線非電化 | ||
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'''真狩トンネル'''は函館本線、狩太駅(ニセコ駅) - 比羅夫駅にあったトンネル。路線付け替えのため現在は廃止。 | '''真狩トンネル'''は函館本線、狩太駅(ニセコ駅) - 比羅夫駅にあったトンネル。路線付け替えのため現在は廃止。 | ||
本トンネルは羊蹄山の西麓の尻別川沿いに存在する。羊蹄山西斜面は岩屑なだれによる流れ山地形が認められ、それによる堆積物が尻別川を堰き止めた結果複雑な河道が形成され、函館本線においては橋梁・トンネル・その他土木構造物で地形を縫っている。ニセコ駅から比羅夫駅を経て倶知安駅の間には現在[[比羅夫]]と[[大曲]] | 本トンネルは羊蹄山の西麓の尻別川沿いに存在する。羊蹄山西斜面は岩屑なだれによる流れ山地形が認められ、それによる堆積物が尻別川を堰き止めた結果複雑な河道が形成され、函館本線においては橋梁・トンネル・その他土木構造物で地形を縫っている。ニセコ駅から比羅夫駅を経て倶知安駅の間には現在[[比羅夫]]と[[大曲]]の2トンネルがありいずれも羊蹄山の流れ山地形を貫くために費やされている。1904(明治37)年10月15日にこの区間が開通した時には、真狩と大曲の2トンネルであったが。後の付け替えによって真狩トンネルは廃止され、別の場所では比羅夫トンネルが新設された。 | ||
== 付け替え == | == 付け替え == | ||
真狩トンネル付近は急カーブが連続し、トンネルは老朽していた。特に老朽化は深刻で土圧で変形したため最後期にはレールの補強が80本入れられ、漏水がはなはだしく冬季はツララ除去のために人手が割かれていた。1955(昭和30)年暮には幅1.6m長さ1.2mにわたって覆工のレンガが崩落したが応急処置のまま使われていた。列車は速度を制限され保線には危険をきたしたため、トンネル前後1,618mを新線へと切り替えるに至った。なお1927(昭和2)年、1946(昭和21)年にも付け替えの話が上がったが結局は立ち消えになっていた。1956(昭和31)年1月10日、狩太工事区が開設され作業が始まり同4月に工事が着工した。1957(昭和32)年の竣工予定であったが用地処理で一時中断し1958(昭和33)年に完成した。旧線から分岐し橋梁を2本新設し、尻別川の蛇行を越え、約130mを短縮した新線は11月12日に開通した。 | 真狩トンネル付近は急カーブが連続し、トンネルは老朽していた。特に老朽化は深刻で土圧で変形したため最後期にはレールの補強が80本入れられ、漏水がはなはだしく冬季はツララ除去のために人手が割かれていた。1955(昭和30)年暮には幅1.6m長さ1.2mにわたって覆工のレンガが崩落したが応急処置のまま使われていた。列車は速度を制限され保線には危険をきたしたため、トンネル前後1,618mを新線へと切り替えるに至った。なお1927(昭和2)年、1946(昭和21)年にも付け替えの話が上がったが結局は立ち消えになっていた。1956(昭和31)年1月10日、狩太工事区が開設され作業が始まり同4月に工事が着工した。1957(昭和32)年の竣工予定であったが用地処理で一時中断し1958(昭和33)年に完成した。旧線から分岐し橋梁を2本新設し、尻別川の蛇行を越え、約130mを短縮した新線は11月12日に開通した。 | ||
== ギャラリー == | |||
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ファイル:20100523154302DSC 0462.jpg|函館方坑口(2010年) | |||
ファイル:20100523154510DSC 0464.jpg|坑内(2010年) | |||
ファイル:20100523154614DSC_0466_01.JPG|坑内(2010年) | |||
ファイル:20100523154728DSC 0467.jpg|アーチ(2010年) | |||
ファイル:20100523154810DSC 0468.jpg|函館方坑口前(2010年) | |||
ファイル:20221015151352DSC 0291.jpg|函館方坑口(2022年) | |||
ファイル:20221015151442DSC 0295.jpg|坑内(2022年) | |||
ファイル:20221015151452DSC 0296.jpg|アーチ(2022年) | |||
ファイル:20221015151524DSC 0298.jpg|アーチ環(2022年) | |||
ファイル:20221015151528DSC 0299.jpg|側壁(2022年) | |||
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[[カテゴリ:1000m未満のトンネル|242]] | [[カテゴリ:1000m未満のトンネル|242]] | ||
[[カテゴリ:1904年開通]] | [[カテゴリ:1904年開通]] | ||
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2023年3月23日 (木) 21:43時点における版
まっかり
真狩
北海道 トンネルwiki ID:720650 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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真狩トンネルは函館本線、狩太駅(ニセコ駅) - 比羅夫駅にあったトンネル。路線付け替えのため現在は廃止。
本トンネルは羊蹄山の西麓の尻別川沿いに存在する。羊蹄山西斜面は岩屑なだれによる流れ山地形が認められ、それによる堆積物が尻別川を堰き止めた結果複雑な河道が形成され、函館本線においては橋梁・トンネル・その他土木構造物で地形を縫っている。ニセコ駅から比羅夫駅を経て倶知安駅の間には現在比羅夫と大曲の2トンネルがありいずれも羊蹄山の流れ山地形を貫くために費やされている。1904(明治37)年10月15日にこの区間が開通した時には、真狩と大曲の2トンネルであったが。後の付け替えによって真狩トンネルは廃止され、別の場所では比羅夫トンネルが新設された。
付け替え
真狩トンネル付近は急カーブが連続し、トンネルは老朽していた。特に老朽化は深刻で土圧で変形したため最後期にはレールの補強が80本入れられ、漏水がはなはだしく冬季はツララ除去のために人手が割かれていた。1955(昭和30)年暮には幅1.6m長さ1.2mにわたって覆工のレンガが崩落したが応急処置のまま使われていた。列車は速度を制限され保線には危険をきたしたため、トンネル前後1,618mを新線へと切り替えるに至った。なお1927(昭和2)年、1946(昭和21)年にも付け替えの話が上がったが結局は立ち消えになっていた。1956(昭和31)年1月10日、狩太工事区が開設され作業が始まり同4月に工事が着工した。1957(昭和32)年の竣工予定であったが用地処理で一時中断し1958(昭和33)年に完成した。旧線から分岐し橋梁を2本新設し、尻別川の蛇行を越え、約130mを短縮した新線は11月12日に開通した。