「市立室蘭病院地下診療室」の版間の差分
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{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = しりつむろらんびょういんちかしんりょうしつ | ||
|名称 | |名称 = 市立室蘭病院地下診療室 | ||
|画像 | |TID = 613761 | ||
|画像説明 | |画像 = | ||
|振興局 | |画像説明 = | ||
| | |地図 = Map muroranhospital.png | ||
|用途 | |振興局 = {{胆振}} | ||
|路線名 | |起点住所 = 室蘭市 | ||
|管理者 | |起点北緯 = | ||
|施工者 | |起点東経 = | ||
|工事費 | |終点住所 = 室蘭市 | ||
|着工 | |終点北緯 = | ||
|竣工 | |終点東経 = | ||
|開通 | |20万図名 = 室蘭 | ||
|閉鎖 | |5万図名 = 室蘭 | ||
|現況 | |2.5万図名 = 室蘭 | ||
| | |用途 = 病院 | ||
|総幅員 | |路線名 = | ||
| | |管理者 = | ||
| | |施工者 = | ||
|掘削工法 | |設計者 = | ||
|覆工 | |工事費 = | ||
|舗装 | |着工 = 1943(昭和18)年 | ||
|照明 | |竣工 = | ||
| | |開通 = | ||
| | |閉鎖 = | ||
|現況 = {{廃止}} | |||
|延長 = 約50m | |||
|内空断面画像 = 人道 | |||
|内空断面画像2= | |||
|総幅員 = 約4m | |||
|車道幅員 = | |||
|中央高 = | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = | |||
|電化/非電化 = | |||
|軌道数 = | |||
|軌間 = | |||
|起点坑門型式 = | |||
|終点坑門型式 = | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = | |||
|舗装 = | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
'''市立室蘭病院地下診療室'''は市立室蘭総合病院が常盤町に所在していた頃に存在したトンネル状の地下施設である。1943(昭和18)年、空襲時の避難診療室として病院と幕西町の間約50m間に掘られた。掘削は病院関係者と住民の勤労奉仕による。爆風よけのため中ほどで折れ曲がり、病院に近い側には数個の部屋が設けられていた。既に2つの坑口はふさがれその正確な位置は不明となっている。 | '''市立室蘭病院地下診療室'''は市立室蘭総合病院が常盤町に所在していた頃に存在したトンネル状の地下施設である。1943(昭和18)年、空襲時の避難診療室として病院と幕西町の間約50m間に掘られた。掘削は病院関係者と住民の勤労奉仕による。爆風よけのため中ほどで折れ曲がり、病院に近い側には数個の部屋が設けられていた。既に2つの坑口はふさがれその正確な位置は不明となっている。 | ||
{{デフォルトソート:しりつむろらんひよういんちかしんりようしつ}} | {{デフォルトソート:しりつむろらんひよういんちかしんりようしつ}} | ||
[[カテゴリ:100m未満のトンネル|50]] | [[カテゴリ:100m未満のトンネル|50]] | ||
[[カテゴリ:1943年開通]] | [[カテゴリ:1943年開通]] | ||
[[カテゴリ:その他の用途のトンネル]] |
2022年6月16日 (木) 23:07時点における最新版
しりつむろらんびょういんちかしんりょうしつ
市立室蘭病院地下診療室
北海道 トンネルwiki ID:613761 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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市立室蘭病院地下診療室は市立室蘭総合病院が常盤町に所在していた頃に存在したトンネル状の地下施設である。1943(昭和18)年、空襲時の避難診療室として病院と幕西町の間約50m間に掘られた。掘削は病院関係者と住民の勤労奉仕による。爆風よけのため中ほどで折れ曲がり、病院に近い側には数個の部屋が設けられていた。既に2つの坑口はふさがれその正確な位置は不明となっている。