「真砂」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) 細 (typo) |
Iyokanmorigen (トーク | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = まさご(わしり) | ||
|名称 | |名称 = 真砂(和尻) | ||
|画像 | |TID = 141327 | ||
|画像説明 | |画像 = 20130416132158DSC 0741.JPG | ||
|振興局 | |画像説明 = 羽幌方坑口 | ||
| | |地図 = | ||
|20万図名 | |振興局 = {{留萌}} | ||
|5万図名 | |起点住所 = 留萌郡小平町字花岡 | ||
|2.5万図名 = 小平 | |起点北緯 = 44.049417 | ||
|用途 | |起点東経 = 141.663483 | ||
|路線名 | |終点住所 = 留萌郡小平町字花岡 | ||
|管理者 | |終点北緯 = 44.049091 | ||
|施工者 | |終点東経 = 141.663299 | ||
|設計者 | |20万図名 = 羽幌 | ||
|工事費 | |5万図名 = 港町 | ||
|着工 | |2.5万図名 = 小平 | ||
|竣工 | |用途 = 道路 | ||
|開通 | |路線名 = {{地方費道4号札幌稚内線}}(-1954)<BR>{{2級国道232号稚内留萌線}}(1953-1965)<BR>{{2級国道239号網走留萌線}}(1953-1965)<BR>{{一般国道232号}}(1965-)<BR>{{一般国道239号}}(1965-) | ||
|閉鎖 | |管理者 = | ||
|現況 | |施工者 = | ||
| | |設計者 = | ||
|総幅員 | |工事費 = 114円52銭2厘(新設工事)<BR>302万2580円(1948年改修工事) | ||
| | |着工 = | ||
| | |竣工 = 1888(明治21)年10月31日(新設工事)<BR>1913(大正2)年(改修工事)<BR>1948(昭和23)年12月30日(改修工事) | ||
|掘削工法 | |開通 = | ||
|覆工 | |閉鎖 = 1970(昭和45)年頃 | ||
|舗装 | |現況 = {{廃止}}<BR>羽幌方Co塗固<BR>留萌方オープンカット | ||
|照明 | |延長 = 40.0m | ||
| | |内空断面画像 = 道路 | ||
| | |内空断面画像2= | ||
|総幅員 = | |||
|車道幅員 = 4.0m | |||
|中央高 = | |||
|有効高 = | |||
|建築限界高 = 3.70m | |||
|電化/非電化 = | |||
|軌道数 = | |||
|軌間 = | |||
|起点坑門型式 = | |||
|終点坑門型式 = | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = 素掘り<BR>留萌方坑口20mCo巻立<BR>羽幌方坑口10mCo巻立 | |||
|舗装 = Co | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
}} | }} | ||
37行目: | 56行目: | ||
{{デフォルトソート:まさこ}} | {{デフォルトソート:まさこ}} | ||
[[カテゴリ:100m未満のトンネル|40]] | [[カテゴリ:100m未満のトンネル|40]] | ||
[[カテゴリ:1888年開通]] | [[カテゴリ:1888年開通]] |
2022年4月10日 (日) 18:14時点における最新版
まさご(わしり)
真砂(和尻)
北海道 トンネルwiki ID:141327 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
真砂トンネルは国道232号・239号重複区間小平町花岡 - 同町大椴間の海岸沿いにあったトンネルである。開削当初は和尻トンネルと称していたが1913(大正2)年改良時に真砂トンネルに改称された。
この周辺の海岸は断崖が続き、海岸縁に土地は少なく、交通のほとんどは海路によっていた。そこに道路の開発がもたらされたのは1886(明治19)年の北海道庁成立により資金調達に目途が立ってからのようである。トンネル周辺の道路は官費114円52銭2厘を投じたほか住民から440円の寄付を集め、1888(明治21)年10月31日に竣工した。トンネルは人馬専用のもので荷車は通れず、トンネル以外は相変わらず波の穏やかな日に波打ち際をかろうじて通行する有様であった。1912(明治45)年 - 1913(大正2)年道路の改良工事がついに行われ名は和尻トンネルから真砂トンネルに改められた。これによって車両の通行ができるようになったとみられる。1970(昭和45)年海岸道路の南端近くの難所に小平トンネルが開通し、同時に海岸道路は急速に改良工事が施され、1974(昭和49)には全線が舗装路となった。真砂トンネルの箇所は海側を埋め立て道を敷き、トンネルは廃止された。