「金山 (金山峠)」の版間の差分

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|画像      = 20130611113412DSC 0595.JPG
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|画像説明  = 金山側の坑口
|画像説明  = 金山側の坑口
|振興局    = 上川
|振興局    = 上川総合振興局
|都市      = 勇払郡占冠村<br>空知郡南富良野町
|都市      = 勇払郡占冠村<br>空知郡南富良野町
|用途      = 道路
|用途      = 道路
|路線名    = 国道237号
|路線名    = 一般国道237号
|管理者    =  
|管理者    =  
|施工者    = 荒井建設
|施工者    = 荒井建設
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|長さ      = 455.5m
|長さ      = 455.5m
|総幅員    = 8.00m
|総幅員    = 8.00m
|高さ      =  
|高さ      = 4.5m
|坑門型式  = ベルマウス
|坑門型式  = ベルマウス
|掘削工法  = 矢板
|掘削工法  = 矢板
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南に占冠村字占冠、北に南富良野町字金山があり、同地は胆振国と石狩国の国境、また分水嶺である。峠の標高はおよそ517m。
南に占冠村字占冠、北に南富良野町字金山があり、同地は胆振国と石狩国の国境、また分水嶺である。峠の標高はおよそ517m。


南の占冠村は太平洋に注ぐ鵡川水系上流部に拓かれた村であるが流域には陸上交通において難所となる箇所が存在し開拓初期はこの金山峠を越えてきたの金山駅へ向かうルートがよく利用された。このルートは明治41年に殖民道路として建設が始まり明治43年5月に開通した。昭和3年には総工費4万1千余円をかけ改良し、道路は純地方非道浦河旭川線となった。その後地方費道、2級国道と昇格し現在は一般国道237号である。S26-28年、峠北側の屈曲した線形(通称馬鹿曲り)を始め大改修を実施。S29年より除雪が入り冬季の通行が可能となった。
南の占冠村は太平洋に注ぐ鵡川水系上流部に拓かれた村であるが流域には陸上交通において難所となる箇所が存在し開拓初期はこの金山峠を越えてきたの金山駅へ向かうルートがよく利用された。このルートは1908(明治41)年に殖民道路として建設が始まり1910(明治43)年5月に開通した。1928(昭和3)年には総工費4万1千余円をかけ改良し、道路は準地方費道浦河旭川線となった。その後地方費道、2級国道と昇格し現在は一般国道237号である。1951(昭和26) - 1953(昭和28)年、峠北側の屈曲した線形(通称馬鹿曲り)を始め大改修を実施。1954(昭和29)年より除雪が入り冬季の通行が可能となった。

2019年2月4日 (月) 21:54時点における版

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かなやま
金山

金山側の坑口
金山側の坑口

基礎情報
振興局 上川総合振興局
用途 道路
路線名 一般国道237号
施工者 荒井建設
工事費 529百万円
着工 1968(昭和43)年7月
竣工 1971(昭和46)年10月
現況 現役
掘削
工法
矢板
覆工 Co
舗装 As
照明 ナトリウム灯×88個


金山トンネルは金山峠にあるトンネル。

南に占冠村字占冠、北に南富良野町字金山があり、同地は胆振国と石狩国の国境、また分水嶺である。峠の標高はおよそ517m。

南の占冠村は太平洋に注ぐ鵡川水系上流部に拓かれた村であるが流域には陸上交通において難所となる箇所が存在し開拓初期はこの金山峠を越えてきたの金山駅へ向かうルートがよく利用された。このルートは1908(明治41)年に殖民道路として建設が始まり1910(明治43)年5月に開通した。1928(昭和3)年には総工費4万1千余円をかけ改良し、道路は準地方費道浦河旭川線となった。その後地方費道、2級国道と昇格し現在は一般国道237号である。1951(昭和26) - 1953(昭和28)年、峠北側の屈曲した線形(通称馬鹿曲り)を始め大改修を実施。1954(昭和29)年より除雪が入り冬季の通行が可能となった。