「紅葉山」の版間の差分
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{{基礎情報 | {{基礎情報 | ||
|よみ | |よみ = もみじやま | ||
|名称 | |名称 = 紅葉山 | ||
|画像 | |画像 = 20170505055154DSC_0022.JPG | ||
|画像説明 | |画像説明 = 追分方坑口 | ||
|振興局 | |地図 = | ||
| | |振興局 = 空知総合振興局 | ||
|20万図名 | |起点 = 夕張市紅葉山<BR>42.930576, 142.034165 | ||
|5万図名 | |終点 = 夕張市紅葉山<BR>42.931613, 142.033864 | ||
|2.5万図名 = 紅葉山 | |20万図名 = 夕張 | ||
|用途 | |5万図名 = 紅葉山 | ||
|路線名 | |2.5万図名 = 紅葉山 | ||
|管理者 | |用途 = 鉄道のち道路に転用 | ||
|施工者 | |路線名 = 室蘭線夕張支線(-1906)<BR>北海道道116号夕張長沼線(1957-)<BR> | ||
|設計者 | |管理者 = | ||
|工事費 | |施工者 = | ||
|着工 | |設計者 = | ||
|竣工 | |工事費 = | ||
|開通 | |着工 = 1898(明治31)年 | ||
|閉鎖 | |竣工 = 1903(明治36)年上期 | ||
|現況 | |開通 = 1903(明治36)年(鉄道として) | ||
| | |閉鎖 = 1915(大正4)年8月1日(鉄道として) | ||
|総幅員 | |現況 = 廃止、木の板により坑口閉鎖 | ||
| | |延長 = 101.0m(道路として) | ||
|坑門型式 | |総幅員 = | ||
|掘削工法 | |車道幅員 = 2.7m(道路として) | ||
|覆工 | |軌間・軌道数 = | ||
|舗装 | |中央高 = | ||
|照明 | |建築限界高 = | ||
| | |有効高 = 3.9m(道路として) | ||
| | |電化/非電化 = | ||
|坑門型式 = | |||
|掘削工法 = | |||
|覆工 = レンガ | |||
|舗装 = 未舗装 | |||
|照明 = | |||
|換気 = | |||
|排水 = | |||
|トンネル等級 = | |||
|非常用設備 = | |||
|注釈 = | |||
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2020年10月19日 (月) 18:51時点における版
もみじやま
紅葉山
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紅葉山トンネルは夕張市の紅葉山市街のはずれにあったトンネルである。はじめ鉄道用として建設され後に道路へ転用され現在は廃止されている。
このトンネルの誕生は明治までさかのぼる。1892(明治25)年11月1日、夕張での大規模な採炭が始まり、同時に産出する石炭を港まで運ぶため北海道炭礦鉄道線が敷かれた。初期にはまだ仮工事にの箇所が多数あり紅葉山トンネルの周辺も川沿いに線路が敷かれてトンネルは存在していなかった。1898(明治31)年からようやくこの区間の本建設が始まり1903(明治36)年に紅葉山トンネルが完成した。
夕張の石炭産業は拡大を続け比例して爆増した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。紅葉山トンネルのある区間は1915(大正4)8月1日に複線化が完了したが、この時トンネルは廃止され川側に複線の軌道が敷かれた。紅葉山トンネルはその後も鉄道トンネルとして使われることはなくわずか12年で役目を終えたのであった。
この路線は夕張から石炭を運び出せる唯一の鉄道路線であったため上記の運炭量増加で複線化したが、1926(大正15)年10月14日新たに夕張鉄道線が開通したことにより室蘭港向けの輸送に大きく傾き運炭量は再び元に戻ってしまった。夕張鉄道線の方が小樽港への距離が圧倒的に短かったのである。しばらくはそのまま複線で使われ続けたが、昭和に入り不況が到来し1932(昭和7)年12月4日ついに単線に戻されてしまった。この時複線時代のルートを踏襲しトンネルは復活させなかった。
紅葉山トンネルは永遠に閉ざされたわけではなくその後道路として復活している。時期は不詳であるが1948(昭和23)年の空中写真ではすでに道路として利用されている様子が見ることができる。この道路は1957(昭和32)年3月30日北海道道となり紅葉山トンネルは間違いなく復活した。車道幅員2.7m、有効高3.9m、長さ101mで、鉄道時代のトンネルをほぼそのまま道路へと転用したようである。
1981(昭和56)年10月1日に石勝線が開通しこれに伴い紅葉山トンネル周辺の鉄道は第1紅葉山トンネルへと付け替えられた。また道路も川の対岸に移され国道274号となった。紅葉山トンネルはいつしか廃止され坑口は木板により閉鎖された。