川汲峠

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川汲トンネル新川汲トンネルは函館市の道道83号川汲峠のトンネルである。

川汲峠は函館と内浦湾岸地域を結ぶルートとして古くから人の往来があり川汲山道と呼ばれていた。箱館戦争の際は土方歳三率いる旧幕府軍が通過した。この頃は川汲山道の南側は鱒川町に下りていたが1925(大正14)年の開鑿で現在のように亀尾へ下りる道へと変わり車道化した。同年11月には乗合自動車が通じ、戦中の中断をはさみ1950(昭和25)年から函館バスの路線バスが定期運行されるようになった。

この車道は冬季通行止めだったため1964(昭和39)年から改良に取りかかり1967(昭和42)年2月17日にトンネルが貫通、翌1968(昭和43)年に開通し通年通行可能となり同時に多くの急カーブと急勾配がなくなった。この幅員高さは旧道路構造令に則っていたので時代が進むと狭隘となり新川汲トンネルが計画されるに至った。

新川汲トンネルは「交流ふれあいトンネル・橋りょう整備事業」に認定された。これは山間部のトンネルや橋を整備し地域の交流を促すために国が重点的に補助する制度である。2003(平成15)年10月に工事着手。湧水が多かったが、その問題以上に掘削土砂に含まれる重金属が基準値を超えていたことで土砂の行き場が無くなり2006(平成18)年5月工事は中断された。残土からはフッ素・ヒ素・鉛が検出されていたが住民への説明なしに下流の地区に仮置きされ反発を招いた。なお「土壌汚染対策法」に準じて処理したが、同法は今回のように自然環境によるものは対象外であるが安全に配慮した。供用後不要となる川汲トンネル内に残土を埋め戻すことを条件に10月に工事は再開、2008(平成20)年3月にトンネルは竣工した。従来の川汲トンネルは条件どおり残土による埋め戻され閉鎖された。

かっくみ
川汲

北海道 トンネルwiki ID:223898

南側坑口
南側坑口

基礎情報
振興局
Temp map oshima subpref.png 渡島
総合振興局
起点
住所 函館市鉄山町
座標 41.867483,140.951248
終点
住所 函館市川汲町
座標 41.877092,140.956438
図名
20万 5万 2.5万
函館 臼尻 川汲
用途 道路
路線名 北海道道8号函館臼尻森線(-1972)
北海道道722号函館南茅部線(1972-1994)
北海道道83号函館南茅部線(1994-)
施工者 松本組
設計者 北海道開発コンサルタント
工事費 11億5000万円
着工 1965(昭和40)年4月
竣工 1968(昭和43)年11月
現況 廃止・埋戻
延長 1,150.0m

Temp cross section road.png
総幅員
=7.50m
車道幅員
=5.50m
中央高
=6.70m
有効高
=3.5m
建築限界高
=(N/A)
坑門
型式
起点 面壁
終点 面壁
覆工 Co
舗装 As T=25cm
照明 ナトリウム×20
換気 自然
排水 サイドドレーン
等級
Temp tunnel class B.png
非常用
設備
警報装置×2
しんかっくみ
新川汲

北海道 トンネルwiki ID:617718

南側坑口、右は旧道
南側坑口、右は旧道

基礎情報
振興局
Temp map oshima subpref.png 渡島
総合振興局
起点
住所 函館市鉄山町
座標 41.864827,140.942606
終点
住所 函館市川汲町
座標 41.880873,140.953302
図名
20万 5万 2.5万
函館 臼尻 川汲
用途 道路
路線名 北海道道83号函館南茅部線
施工者 戸田・岩倉・奥村特定建設工事共同企業体
設計者 ドーコン
工事費 81億6000万円(事業全体)
着工 2003(平成15)年10月
竣工 2008(平成20)年3月
開通 2008(平成20)年7月28日13:00
現況 現役
延長 2,056m

Temp cross section road.png
総幅員
=7.5m
車道幅員
=(N/A)
中央高
=(N/A)
有効高
=4.7m
建築限界高
=(N/A)