神居古潭 (国道12号)
かむいこたん
神居古潭
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はるしない
春志内
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神居古潭トンネル及び春志内トンネルは旭川市西部の神居古潭にある国道12号のトンネル。
札幌と旭川を結ぶ道路(現在の国道12号)のうち神居古潭付近は1886(明治19)年に「川上仮道路」として開通した。川上仮道路は市来知(現在の三笠市いちきしり)から忠別太(現在の旭川市)までを結ぶ約90kmの道路で、樺戸監獄署の囚人を使役したことにより予算4,000円に対して工事費3,787円94銭4厘(諸説あり)で竣工した。川上仮道路の実情はあくまで"仮"道路であったため草木を切り倒し、馬がようやく通ずる程度であった。同じ年行政は三県一局時代から道庁時代に移り、新たな内陸開拓の要として上川地方が注目されるようになると、その優先事項として道路の拡充整備が挙げられた。当時札幌から根室に至る幹線道路として構想されたルートは、札幌から空知・上川を経由するものだったからである。川上仮道路の本工事は翌1887(明治20)年に始まり、またも樺戸監獄署の囚人に大きく頼って続けられ、1889(明治22)年11月に完成した。工事費は空知太 - 忠別太(現在の滝川 - 旭川)で2,597円52銭5厘であった。当時のルートを見ると神居古潭の渓谷ではほぼ完全に石狩川の左岸に沿った線形をとっており、道路トンネルはまだない。一方対岸にあった函館本線には神居古潭・伊納の鉄道トンネルがあった。
1900(明治33)年には臨時第7師団が月寒から旭川に移転し、1907(明治40)年には東京から第7師団所在地まで至る道が国道43号として指定され、1920(大正9)年には道路法の下で国道27号となった。このとき神居古潭付近は国道28号と重複指定されている。道路は明治時代に完成してからすぐに破損が始まり継続的な維持が続けられることとなった。昭和10年代になると自動車の交通量が増加し、欧米に倣って国道を改修していった。第2次世界大戦後の1952(昭和27)年には新たな道路法が公布され1級国道12号、1965(昭和40)年には1級2級の別がなくなり一般国道となった。神居古潭の区間には地辷り地形が散在し大きな切土は許されなかったことから盛土や橋梁を主体にし、周囲に迂回路のないため交通を維持しながらの改修していった。結果神居大橋・岩見大橋の桟道橋および神居古潭トンネル・春志内トンネルが新設された。現在一部4車線であるが、トンネル前後をはじめ2車線の区間が残っている。