「稚南部」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
590 バイト追加 、 2025年2月26日 (水)
+ギャラリー
編集の要約なし
(+ギャラリー)
 
6行目: 6行目:
|名称        = 稚南部(1代目)
|名称        = 稚南部(1代目)
|TID          = 653629
|TID          = 653629
|画像        = 20200511120904DSC 0010.JPG
|画像        = 20240802105112DSC_0050.jpg
|画像説明    = 夕張方坑口
|画像説明    = 新夕張方坑口
|地図        =  
|地図        =  
|振興局      = {{空知}}
|振興局      = {{空知}}
61行目: 61行目:
|名称        = 稚南部(2代目)
|名称        = 稚南部(2代目)
|TID          = 675535
|TID          = 675535
|画像        = 20200511120900DSC 0009.JPG
|画像        = 20240802103122DSC_0027.jpg
|画像説明    = 夕張方坑口
|画像説明    = 夕張方坑口
|地図        =  
|地図        =  
110行目: 110行目:


夕張の石炭産業は拡大を続け比例して増加した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。稚南部トンネルのある区間は1912(大正元)11月19日に複線化が完了したが、この時隣に2代目を建設し上下線で1代目2代目をそれぞれ使用した。JR北海道発表資料によるとトンネルの完成は1918(大正7)年ということであるので、トンネル工事をしながら複線として供用していたことになる。1932(昭和7)年1代目が廃止され2代目のみの単線になり路線が廃止されるまでこの状態が続いた。最後期には老朽化が進み覆工の剥落や湧水結氷が発生し、2014(平成26)年2月からは不良路盤の凍上のため25km/hでの徐行運転となっていた。2019(平成31)年4月1日、当トンネル属する石勝線夕張支線が廃線となりトンネルも廃止された。
夕張の石炭産業は拡大を続け比例して増加した運炭量を賄うべく、この線は1912(大正元)年から1919(大正8)年にかけて複線化が行われた。稚南部トンネルのある区間は1912(大正元)11月19日に複線化が完了したが、この時隣に2代目を建設し上下線で1代目2代目をそれぞれ使用した。JR北海道発表資料によるとトンネルの完成は1918(大正7)年ということであるので、トンネル工事をしながら複線として供用していたことになる。1932(昭和7)年1代目が廃止され2代目のみの単線になり路線が廃止されるまでこの状態が続いた。最後期には老朽化が進み覆工の剥落や湧水結氷が発生し、2014(平成26)年2月からは不良路盤の凍上のため25km/hでの徐行運転となっていた。2019(平成31)年4月1日、当トンネル属する石勝線夕張支線が廃線となりトンネルも廃止された。
== ギャラリー ==
<gallery>
ファイル:20171031124246DSC_0006.jpg|2代目現役時の夕張方坑口
ファイル:20171031124018SANY0001.MP4_snapshot_00.48.164.jpg|2代目を通過する列車
ファイル:20200511120824DSC_0007.jpg|廃止後の夕張方坑口
ファイル:20240802105046DSC_0047.jpg|廃止後の新夕張方坑口
ファイル:20240802103136DSC_0028.jpg|1代目夕張方坑口
ファイル:20240802103306DSC_0033.jpg|1代目坑内
ファイル:20240802105052DSC_0048.jpg|2代目新夕張方坑口
ファイル:20240802103216DSC_0030.jpg|2代目坑内
</gallery>


{{デフォルトソート:わつかなんへ}}
{{デフォルトソート:わつかなんへ}}

案内メニュー