「稲穂峠」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
3,618 バイト追加 、 2020年12月2日 (水)
2代目と鉄道について
(ページの作成:「'''稲穂峠'''は後志の仁木町と共和町の境界にある峠である。国道5号と函館本線が通っており、どちらも函館と札幌を結ぶ大動…」)
 
(2代目と鉄道について)
8行目: 8行目:
峠の南側は岩内、北側は余市に通じているが、この古くから栄えた2つの港町をつなぐのは難所の神威岬を周る海路だけであった。
峠の南側は岩内、北側は余市に通じているが、この古くから栄えた2つの港町をつなぐのは難所の神威岬を周る海路だけであった。


1809(文化6)年場所請負人の菊池新左衛門・粕谷喜兵衛、福島屋新左衛門が山道を開削した。当時余市山道と呼ばれたこの山道により稲穂峠に初めての道が誕生した。この道は簡素なものだったのでその後荒廃したため、1856(安政3)年4月に新たに山道を開削した。これも場所請負人仙北谷仁左衛門・福島屋新左衛門・竹屋長左衛門・住吉屋徳兵衛及び漁民数名による開削であった。しかしこの道も簡素であったため荒廃の定めからは逃れられなかった。
1809(文化6)年場所請負人の菊池新左衛門・粕谷喜兵衛、福島屋新左衛門が山道を開削した。当時余市山道(余市越山道)と呼ばれていた。この道は簡素なものだったのでその後荒廃したため、1856(安政3)年4月に新たに山道を開削した。これも場所請負人仙北谷仁左衛門・福島屋新左衛門・竹屋長左衛門・住吉屋徳兵衛及び漁民数名による開削であった。しかしこの道も簡素であったため荒廃の定めからは逃れられなかった。


明治時代になると稲穂峠を越える人が増えてきたため時より修繕され、1880(明治13)年9月には幅2間の道路が開削された。1894(明治27)年頃からは馬車や馬橇が見られるようになった。
明治時代になると稲穂峠を越える人が増えてきたため時より修繕され、1880(明治13)年9月には幅2間の道路が開削された。1894(明治27)年頃からは馬車や馬橇が見られるようになった。
73行目: 73行目:
|用途        = 道路
|用途        = 道路
|路線名      = 1級国道5号(-1965)<BR>一般国道5号(1965-)
|路線名      = 1級国道5号(-1965)<BR>一般国道5号(1965-)
|管理者      =  
|管理者      = 小樽開発建設部岩内道路事務所
|施工者      = 地崎組(新設工事)<BR>大木建設(伸長工事)
|施工者      = 地崎組(新設工事)<BR>大木建設(伸長工事)
|設計者      = 小樽開発建設部岩内道路事務所
|設計者      =  
|工事費      = 3億1800万円
|工事費      = 3億1800万円
|着工        = 1959(昭和34)年10月26日
|着工        = 1959(昭和34)年10月26日
195行目: 195行目:
|注釈        =  
|注釈        =  
}}
}}
国道5号中で有数の険しさを誇る稲穂峠であるがトンネルは建設からおよそ半世紀が経ち老朽化・狭隘化していた。また周辺地域の交通の利便化を図るため、倶知安町から共和町仁木町を経由して余市町までを1種3級の自動車専用高規格道路で結ぶ一般国道倶知安余市道路事業が2014(平成26)年事業化。2016(平成28)年に着工した。1代目のトンネルは標高260m付近にあったが、2代目ではこれを150m程にまで下げ山道を回避する。上下線を別のトンネルとして設けるセパレート方式を採用し、現在はR側を施工中で完成は2021(令和3)年度を見込んでいる。L側はいまだ発注されていない。
<BR clear="all">
== 鉄道 ==
{{基礎情報
|よみ        = いなほ
|名称        = 稲穂
|画像        =
|画像説明    =
|地図        =
|振興局      = 後志総合振興局
|起点        = 岩内郡共和町小沢<BR>43.020165, 140.708052
|終点        = 余市郡仁木町銀山2丁目<BR>43.032910, 140.720809
|20万図名    = 岩内
|5万図名      = 茅沼
|2.5万図名    = 銀山
|用途        = 道路
|路線名      = 北海道鉄道線(-1907)<BR>函館本線(1909-)
|管理者      =
|施工者      =
|設計者      =
|工事費      =
|着工        = 1902(明治35)年6月1日
|竣工        = 1904(明治37)年5月
|開通        = 1904(明治37)年7月18日
|閉鎖        =
|現況        = 現役
|延長        = 1,776m
|総幅員      =
|車道幅員    =
|軌間・軌道数 = 1,067mm・単線
|中央高      =
|建築限界高  =
|有効高      =
|電化/非電化  = 非電化
|坑門型式    =
|掘削工法    =
|覆工        =
|舗装        =
|照明        =
|換気        =
|排水        =
|トンネル等級 =
|非常用設備  =
|注釈        =
}}
鉄道トンネルは国道5号の稲穂峠から南東にあり函館本線に属する。函館本線の前身の北海道鉄道は函館駅を起点とし小樽駅(現在の南小樽駅)で北海道炭礦鉄道[[:カテゴリ:幌内鉄道|幌内線]]に接続した約159マイルの鉄道であった。建設工事は8工区に分割で行われ、稲穂峠のある倶知安駅 - 然別駅間は延長19マイル17チェーン26リンクの第5工区であった。この線で13本あったトンネルのうち延長が1位となるのが稲穂トンネルであり、また同じ工区には2位の倶知安トンネルもあったたため、工区の出来が線全体の開業にかかわる重要な現場であった。始めにまず稲穂トンネルの北3マイル半の箇所に物資を運び込むための停車場を置き、これは6月28日に山道駅として稼業し始めた。非常に硬い岩質であったが、1904(明治37)年5月に竣工。倶知安トンネルも3月に竣工しており、7月18日に小沢駅 - 山道駅間が開業した。またこれにより山道駅は役割を失い廃駅となった。第5工区は小樽市街を除くと最も遅い開通であったので、稲穂トンネルの開通により函館から小樽が初めて鉄道で結ばれたこととなる。
=== トンネル餅 ===
稲穂トンネルの南側に位置する小沢駅は上下方向どちらも[[倶知安]]・稲穂の長大トンネルに挟まれており、鉄道の開通を記念して「トンネル餅」が考案された。小沢駅前の商店「末次商店」で現在も販売している。


{{デフォルトソート:いなほとうけ}}
{{デフォルトソート:いなほとうけ}}
205行目: 255行目:
[[カテゴリ:計画・建設中のトンネル]]
[[カテゴリ:計画・建設中のトンネル]]
[[カテゴリ:国道5号]]
[[カテゴリ:国道5号]]
[[カテゴリ:1904年開通]]
[[カテゴリ:1962年開通]]
[[カテゴリ:1962年開通]]

案内メニュー