「夕張峠」の版間の差分

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1代目のトンネルの西には大きなS字カーブがあり、またトンネルの老朽化も目立ってきたので2代目が計画された。整備事業は夕張峠の約4km間を新道に付け替えるもので、夕張トンネルは老朽して更新を急いだため1996(平成8)年先に着工し、当初2003(平成15)年4月の供用を予定していた。しかし岩質は専ら泥岩で脆く、途中には断層があり、1代目への影響などから工事が難航した。3.6m/日の掘進速度も1/3にまで悪化し、ついに掘削が中止に追い込まれた。2002(平成14)年10月に上半が貫通、続いて全断面が11月20日に貫通し、ぎ装や残工事を施し2004(平成16)年1月21日に供用を開始した。前述のとおりこの事業はトンネルが先駆して工事をしており、この時の開通はトンネルとその前後220m間であった。トンネルの西側坑口では全線開通まで旧道に接続されるため直角カーブとなり危険なためにセンターポールの設置やロードヒーティングの実施をした。残りの3,840mは、勾配率を従来の6.1%から4.1%まで緩和し、錦冬橋・錦秋橋・錦夏橋・錦春橋の各橋梁を新設、2008(平成20)年12月1日に全線開通した。
1代目のトンネルの西には大きなS字カーブがあり、またトンネルの老朽化も目立ってきたので2代目が計画された。整備事業は夕張峠の約4km間を新道に付け替えるもので、夕張トンネルは老朽して更新を急いだため1996(平成8)年先に着工し、当初2003(平成15)年4月の供用を予定していた。しかし岩質は専ら泥岩で脆く、途中には断層があり、1代目への影響などから工事が難航した。3.6m/日の掘進速度も1/3にまで悪化し、ついに掘削が中止に追い込まれた。2002(平成14)年10月に上半が貫通、続いて全断面が11月20日に貫通し、ぎ装や残工事を施し2004(平成16)年1月21日に供用を開始した。前述のとおりこの事業はトンネルが先駆して工事をしており、この時の開通はトンネルとその前後220m間であった。トンネルの西側坑口では全線開通まで旧道に接続されるため直角カーブとなり危険なためにセンターポールの設置やロードヒーティングの実施をした。残りの3,840mは、勾配率を従来の6.1%から4.1%まで緩和し、錦冬橋・錦秋橋・錦夏橋・錦春橋の各橋梁を新設、2008(平成20)年12月1日に全線開通した。


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[[カテゴリ:空知総合振興局のトンネル]]
[[カテゴリ:空知総合振興局のトンネル]]
[[カテゴリ:2004年廃止]]
[[カテゴリ:2004年廃止]]

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