白亜
白亜トンネルは三笠市の幾春別と桂沢の間にある道路トンネルである。旧トンネルの湯の沢トンネルについてもここで詳述する。
トンネル建設以前
三笠から幾春別川沿いに上ると、幾春別までは川沿いに開拓地や炭鉱集落が散見されるが、これより奥の桂沢は広大な森林地帯であった。幾春別と桂沢を結ぶ道路が着工したのは1906(明治39)年のことで、当時は村道であった。道路の実態は人馬専用の徒歩道であり、荷車の通行が可能となったのは1933(昭和8)年のことである。当時この道路にトンネルはまだなく、幾春別川に張り出した尾根を上り下りしていた聯路(幅1間以上の道路)であったことが地形図から分かる。また1935(昭和10)年の地形図では、のちにトンネルが掘られる尾根道は、多少の迂回をし川に沿うよう付け替えられている。
1代目
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ゆのさわ
湯の沢
北海道 トンネルwiki ID:131457 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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本項で扱うトンネルの位置する一帯にダムを建設しようとする構想は明治時代から存在していたが第2次世界大戦下で計画は一時立ち消えとなり戦後に運動が再燃する。敗戦から数年のうちに桂沢を流れる幾春別川流域だけでなく、山一つ隔てた芦別川流域とあわせて開発を進める「幾春別川・芦別川総合開発事業」として計画が樹立した。桂沢には発電・灌漑・洪水調節そして上水道を担う多目的なダムとして桂沢ダムの建設が決まり、1951(昭和26)年8月には工事用道路の建設が始まっていた。これだけでは輸送が間に合わないので別に索道も設置されている。これらの道路及び索道は北海道開発局の直轄工事であった。この建設工事ではダムから約1.8km下流の地点に道路トンネルが1本新設された。すなわち湯の沢トンネルである。工事用道路の建設は1952(昭和27)年第2四半期に完了している。このトンネルは工事用道路としてだけでなく町道幾春別桂沢線と幾春別森林鉄道の代替補償としても機能するものであった。
1代目廃止から2代目まで
1代目のトンネルである湯の沢トンネルが建設されるきっかけとなった桂沢ダムは1957(昭和32)年に竣功を迎えた。同じ年、桂沢ダムに没した幾春別森林鉄道は廃止となり、湯の沢トンネルは市道となった。トンネルは1車線幅の狭隘だったためか、付近の道路はトンネルを通らない森林鉄道跡へ付け替えられトンネルを廃止した。現況調書を開くと1966(昭和41)年度から湯の沢トンネルの名が見えなくなっている。余談だが湯の沢トンネル廃止後の1973(昭和48)年、トンネルが貫く山に選点された四等三角点は点名を「隧道上」(ずいどううえ)という。
2代目
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はくあ
白亜
北海道 トンネルwiki ID:811635 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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この付近の道路は路線名が「市道幾春別桂沢線」(1957-1960?)、「道道313号桂沢岩見沢線」(1960-1972)と称し、三笠側から見ると桂沢の無人地帯に至るだけの袋小路であった。そのため交通量は極めて少なかったことは想像に難くない。しかし行き止まりを解消し道路を東に山越えさせ芦別まで繋げ、路線名は「道道738号芦別三笠線」(1972-1976)とし、さらには南に山越えし夕張にも繋げると、桂沢は空知地域と上川地域を繋ぐ道路交通の要衝となった。1993(平成5)年には夕張から桂沢を経て芦別に至るルートが国道452号に指定され、いよいよ幹線道路としての整備が必要になった。かつて林道の様だった桂沢ダム付近は桂沢大橋、桂竜橋、桂沢トンネル、そして白亜トンネルなどの建設によってより高規格な姿に生まれ変わった。
ギャラリー
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1代目(TID131457)扁額
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1代目(TID131457)の東方、湯の沢川を渡る個所には同じくダム工事用道路兼補償道路として作られた「湯の沢橋」(L=5.40m、Co桁橋)が架かっている。半ば自然に還っているが4本の親柱がわずかに見える。
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2代目(TID811635)桂沢方坑口
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2代目(TID811635)扁額
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2代目(TID811635)工事銘板
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2代目(TID811635)坑内
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2代目(TID811635)坑口上の林道から見た桂沢側の様子。
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2代目(TID811635)岩見沢方坑口のすぐ左付近に1代目(TID131457)があったと思われる。